2016/02/29

セシウム 福島県沖の魚、基準値超えほぼゼロ


2016年2月29日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160301/k00/00m/040/056000c 

福島県沖で取れる魚から、東京電力福島第1原発事故の影響とみられる放射性セシウムが国の食品基準値以上に検出される可能性はほぼ0%で非常に低いとする推計を、水産総合研究センターの岡村寛・資源管理グループ長らがまとめ、29日付の米科学アカデミー紀要電子版に発表した。

ただし、淡水魚のイワナや海の底にすむシロメバルなど福島県の魚の一部で基準値を超える可能性が比較的高いものもあった。

研究は、厚生労働省が公開した水産物中のセシウム134、137の検査結果を利用。2015年9月時点の状況を推定した。

福島県では、原発事故以降、1キロ当たり100ベクレルの基準値を超える可能性は一貫して低下しており、「海の生物」「淡水の生物」とまとめて見た場合、ほぼ0%だった。

ただ、20ベクレルを超える可能性を見ると、海の生物はほぼ0%だが、淡水の生物は7.5%だった。川や湖にすむ生物は放射性セシウムを排出しにくいことが原因とみられる。

魚種別では、イワナは基準値を超える割合が1万匹に約8匹、シロメバルが1000匹に約7匹と、他の種より頻度が高い計算になった。(共同)

避難指示6月解除か ごみ回収5月終了 南相馬・住民説明会 /福島

2016年2月29日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160229/ddl/k07/040/135000c

南相馬市の居住制限区域と避難指示解除準備区域を4月中に解除する方針を示した国と市による計4回の住民説明会が28日終了した。桜井勝延市長が解除の新たな要件に加えた伐採樹木などの「片づけごみ」の回収について、担当する環境省の関係者は同日、毎日新聞の取材に「終わるのは5月半ばごろになる」と説明した。ごみの回収に対する市の確認作業も必要になるため、避難指示解除は6月以降にずれ込む可能性が高まっている。

29日の説明会は、川房、金谷、神山など放射線量が高かった居住制限区域を含む小高区西部の住民が対象で、300人近くが参加した。国は生活圏の除染やインフラ整備などの条件は「おおむね整いつつある」として、改めて4月中の解除に理解を求めた。しかし、反発する住民からは解除時期の大幅な先送りを求める意見が相次ぎ、終了時間は予定より1時20分以上遅れた。

小高区西部の住民から異口同音に聞かれたのは、除染が完全に終わらないまま解除することへの不安だ。「自宅裏の防風林や農地も『生活圏』なのにまったく除染されていない。防風林では今も毎時4・7マイクロシーベルトの放射線量がある」(川房地区の女性)、「地域の水田の半分が(除染廃棄物の)仮置き場になっており、撤去時期のめども示されていない」(小谷地区の女性)、「解体後に除染する近所の家から放射能が飛んでくる心配がある」(片草地区の男性)などのほか、「このような状況では子どもや孫を自宅に呼べず、子育て世代は戻ってこない」という声には会場から拍手が集まった。

住民説明会で国の除染への不安を訴える女性=南相馬市小高区で

国側は、除染後も平均毎時1マイクロシーベルト以上の放射線量の家では、局所的に年20ミリシーベルトの基準を超える場所が残っている可能性があるとして、引き続きフォローアップ(追加)除染を続けていく方針だ。ただ、時期は避難指示解除後になるとしており、住民側の反発は強い。仮置き場撤去の前提になる中間貯蔵施設建設の見通しが立たないことにも国の担当者は謝罪を繰り返すだけだった。

住民の不安を受けて、桜井市長はこの日も「庭先に放置されたままのごみ袋の回収も(解除の)前提として、市としてしっかり状況を確認していく」と説明。これに対し、政府原子力災害現地対策本部の後藤収副本部長は「除染が終わることは大前提で、けっして日程ありきではない」と柔軟に対応する考えを示したが、「時間がたてばたつほど帰還意欲は薄れていく。時間との勝負とも考えている」と強調し、解除時期を大幅に遅らせることには慎重な姿勢をにじませた。【大塚卓也】

震災体験とその後を語る 県内移住者や支援者集会/岐阜

2016年2月29日 中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20160229/CK2016022902000036.html

東日本大震災から五年を迎えるのを前に、被災地から県内に移住した人と、支援する人たちの集う会が二十八日、JR岐阜駅に隣接するハートフルスクエアーGであった。被災者二十人を含む百人が集まり、震災の体験や支援団体の取り組みについて語り合った。

宮城県石巻市で津波に襲われたものの助かり、現在は恵那峡で観光客向けの売店を営む恵那市在住の須田裕司さん(64)は「前日まで会っていた友人など多くの人を亡くした。防災とは、一人でも犠牲者を減らすこと」と、日ごろからの備えの大切さを説いた。

福島県いわき市から岐阜市に転居した小湊香さん(45)は、今の生活を「子どもに『何を触っても、何を食べても良いよ』と言えて、のびのび暮らせることがうれしい」と話した。福島へ一時的に戻った際は「見えない放射能への心配がつらかった」と振り返った。

子どもたちも壇上へ。下呂市の中学三年佐藤未夢さん(15)は福島県浪江町から来た当初「『フクシマへ帰れ』と言われたこともあった」と涙ながらに語り「勉強を頑張って高校に合格できたので、新しい学校では友達をたくさんつくりたい」と話した。

地震を振り返り「地面が揺れて、立っている所がゼリーのようになるかと思った」「怖くて『現実じゃない、夢だ』と言い聞かせていた」などと話した小学生六年生の二人はウクレレとリコーダーで童謡「故郷」を演奏。参加者が全員で合唱した。
(嶋村光希子)

震災の体験を語った後で「故郷」を演奏する2人の小学生(右側2人)
=岐阜市橋本町で

被ばくの危険性訴え 自らも被害者、オルソンさん講演 米の市民活動紹介 /京都


毎日新聞 2016年2月29日
http://mainichi.jp/articles/20160229/ddl/k26/040/304000c



講演するメアリー・オルソンさん=京都市下京区で、花澤葵撮影


米国の生物学者で、MOX燃料利用や先住民居住地の核廃棄物処分場計画に反対する市民活動などを行ってきたメアリー・オルソンさんの講演会が28日、京都市下京区で開かれ、福島県からの避難者や市民ら約30人が集まった。グリーン・アクション(左京区)主催。【花澤葵】

オルソンさんは25歳の時、働いていた医学部研究所で、実験中に被ばく。以来、被ばくの問題に取り組んできた。

講演では、米国市民による核廃棄物処分場計画とMOX燃料利用への反対活動や、性差や年齢差による被害の違いなどを紹介。オルソンさんは、長崎や広島の被爆者を研究した米国の科学報告書のデータを示した上で、被ばく時の年齢が0〜5歳の子供の方が、大人より生涯にわたってがん発症のリスクが高くなると指摘。「女の子の方が男の子の約2倍、発症リスクがある」とも説明した。

オルソンさんは「政策の決定権を持つ人に、日本に住む皆さんが訴え続けなければいけない」と呼びかけた。

熱心に話を聞いていた西京区の鈴木絹江さん(65)は2013年10月、原発から40キロの距離にある福島県田村市から京都に避難してきた。鈴木さんは「アメリカの市民活動は具体的で、とても勇気があると感じた」と話した。

福島の土壌に雲母が多いことが幸いした…セシウム吸着効果で農林水産物汚染は着実に減少

2016年2月29日 産経新聞
http://www.sankei.com/premium/news/160229/prm1602290014-n1.html

■魚も排出機能で汚染抑制
東京電力福島第1原発の事故で放射性物質が検出された福島県の農林水産物。この5年間で基準値を超えるものは大幅に減ったが、森林では深刻な汚染が続く。自然環境や動植物は放射性物質をどのように蓄積、排出しているのか。そのメカニズムを探った。(伊藤壽一郎)

                 ◇
◆雲母の粘土が固定
原発事故では約90万テラベクレル(テラは1兆)もの放射性物質が放出され、福島県全域に飛散した。県の調査によると、2011年度産の野菜・果実のうち、約2%が国の一般食品の放射性セシウム基準値(1キロ当たり100ベクレル)を超えた。年間約1千万袋を生産しているコメも、12年産の玄米71袋が基準値を上回った。

だが汚染は着実に減っている。野菜・果実は13年度以降、基準値超えはなく、全袋を検査している玄米も15年産の基準値超えはゼロだ。東京大の田野井慶太朗准教授(放射線植物生理学)は「福島の土壌は雲母に由来する粘土質が多いことが幸いした」と解説する。

原発から放出されたセシウムは約3カ月で地表から深さ6センチ程度にまで浸透。セシウムは水に溶けるとプラスの電気を帯びるが、雲母由来の粘土の粒子はマイナスの電気を帯びているため、セシウムを引き寄せて吸着する。

粘土の粒子は層状で、時間が経過すると互いにくっつき合い、セシウムを層の間にがっちりと挟み込む。こうなると、セシウムが植物に取り込まれることはない。

また、畑や水田で大量に使用されるカリウム肥料も貢献した。土壌中にカリウムとセシウムがあると、カリウムは植物の根に先に入り込み、セシウムの吸収を阻害する。植物はカリウムを十分に取り込んだ状態になると、セシウムを吸収しなくなる。

減少に向かう放射能汚染
減少に向かう放射能汚染

◆海は以前の水準に
海流の影響でセシウムが拡散しやすい海洋も、汚染は減っている。東京海洋大の石丸隆特任教授(海洋生物学)は「原発近くを除いた大半の沖合で、海水中のセシウムは事故前と同水準の1リットル当たり数ミリベクレルに下がった」と話す。

海底の土は場所によって1キロ当たり100ベクレル超のセシウムが現在も検出される。だがセシウムを大量に含むのは泥のような堆積物であることが多く、その大半を占めるミネラルはセシウムを強く吸着して離さない性質がある。

魚の餌となるゴカイを汚染された堆積物で飼育する実験を行ったところ、セシウムはほぼ取り込まれないことが確認されたという。こうした海底の小動物を食べる魚にも、セシウムは移行しないことになる。

また、海の魚は海水から塩分を取りすぎないようにするため、えらに塩分を積極的に排出する機能がある。セシウムは魚の体内で塩分やミネラルと同じ動きをするため、取り込んでも次々に排出されるわけだ。

福島沖の魚は事故当初、大量のセシウムが検出されたが、15年4月以降は基準値を超えたものはない。県漁業協同組合連合会は国より厳しい1キロ当たり50ベクレルの自主基準を設け、これを安定的にクリアした70種以上の試験操業を開始した。

ただ、スズキ、クロダイ、メバル、アイナメ、ヒラメなど沿岸の大型魚を中心とする約30種は一部で自主基準を超えており、現在も出荷制限が続いている。寿命が比較的長い魚が多いことから、事故直後に高濃度に汚染した個体が生き残っている可能性が高いとみられている。

魚の世代交代や、半減期に応じたセシウムの崩壊は今後も進む。石丸氏は「新たなセシウムの供給がないかぎり、海水魚の汚染が解消されるのは時間の問題だ。来年ごろには50ベクレル超の魚もいなくなるだろう」と話している。

◆森林は深刻な汚染続く

森林の汚染は現在も深刻な状態だ。天然のウドやフキ、ゼンマイなどは、2015年度も基準値の約2倍のセシウムが検出された地域があった。天然キノコも全59市町村の9割強で出荷制限が続く。

住宅地や農地周辺の樹木は、セシウムが付着した葉や枝を高圧水で洗浄したり、樹皮を剥がしたりする除染が行われている。だが、住宅地や農地から離れた森林は国の除染対象となっておらず、回復の見通しは立っていない。

森林の地表はセシウムがついた葉や枝、樹皮が降り積もり、汚染度の高い腐葉土が敷き詰められている。山菜やキノコが大量のセシウムを含むのは当然だ。土の中にすむ虫を食べるイノシシも15年度で65%が基準値を超えている。キジやツキノワグマも高い傾向がある。

腐葉土のセシウムは雨水などとともに河川へ入り込む。海水魚と違い塩分が貴重な淡水魚は、体内で同じ動きをする塩分とセシウムを両方とも積極的に蓄積するため、イワナやヤマメは基準値超えが続いている。

東京大の二瓶直登准教授(放射線環境工学)は「スギの幹はセシウムを吸収しやすいことが最近の研究で判明し、林業への影響も懸念される。森林の汚染は長期的な課題になりそうだ」と話す。


放射性物質はどこまで拡散する?反原発団体が柏崎で「風船プロジェクト」

2016年2月27日 新潟日報
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20160227237874.html

反原発を訴える人たちで構成する「風船プロジェクト」は27日、原発事故の際、放射性物質がどこまで拡散するかを風船を飛ばして調べる「風船プロジェクトin柏崎刈羽」を、東京電力柏崎刈羽原発近くの柏崎市荒浜地区で行った。

放射線物質の拡散範囲を調べようと風船を放つ「風船プロジェクト」のメンバー
=27日、柏崎市荒浜

今回で3回目。土に返るエコ風船を使い、風船プロジェクトの連絡先を書いたメモを付け、拾った人から連絡をもらう仕組みだ。昨年7、10月に同原発近くから計400個を放ったときは、約215キロ離れた宮城県亘理町まで飛んだ。

27日は約100個の風船を飛ばし、数時間後には宮城県丸森町や福島県伊達市から連絡があったという。風船プロジェクトの小木曽茂子事務局長(64)=津南町=は「ちゃんとしたデータではないけれど、見えない放射性物質がどこまで飛んでいくのかを見える形で示したかった」と話した。

今春もう一度実施して季節ごとの結果をまとめ、県内30市町村の防災担当者に伝える予定。小木曽事務局長は「県外まで風船が飛ぶのだから、原発から30キロ内の自治体だけでなく、全市町村が避難計画を作るべきだ」と訴えている。

東京電力福島第1原発が立地する福島県大熊町から阿賀野市に避難している大賀あや子さん(43)は「放射能漏れや汚染が起こらないようにと願って飛ばしました」と話した。



柏崎・反原発市民団体 風船で「飛散」調査 避難計画整備促進へ

3時間余で宮城・丸森町や福島市に/新潟

2016年2月29日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160229/ddl/k15/040/065000c

原発に反対する市民らで作るグループ「風船プロジェクトIN柏崎」が27日、東京電力柏崎刈羽原発の南約1キロの柏崎市荒浜から風船約100個を飛ばした。原発事故の際に放射性物質がどう飛散するか調べるのが目的で、結果を県内全自治体に送り、避難計画の整備を促す。

メンバーは小木曽茂子事務局長(64)=津南町=をはじめ、県内各地や東京都、神奈川県などの約80人。昨年7月と10月にも計400個を飛ばしており、今回は3回目。

午前11時半ごろ、集まった15人ほどが、連絡先と趣旨を記したカードを結びつけた色とりどりのヘリウム入り風船を手から放し、青空へ舞い上がらせた。

この日は北東に200キロ離れた宮城県丸森町から「午後3時ごろに拾った」と電話があり、約170キロ離れた福島市からも「午後2時半ごろ、除染作業中に落ちてきた」と連絡が入るなど、3件の反響があったという。

小木曽さんは「3時間余りで丸森町まで風船が飛ぶ。原発から30キロ圏の自治体だけが避難計画を作るのでなく、県内全自治体が作ってほしい」と話している。【高木昭午】

風船を手から放す市民たち

3/5 避難者が山形で体験語る 来月5日に講演会 /山形


2016年2月29日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160229/ddl/k06/040/035000c

東日本大震災の発生から5年を迎えるに当たり、山形市内で震災関連のイベントを開催しているボランティア団体「311ボラMeeting」は3月5日午後1時、市男女共同参画センター(市城西町2)で福島県から県内への避難者を招いた講演会を開く。「復興ボランティア支援センターやまがた」のスタッフでもある多田曜子代表(34)は「避難者の声を直接聞く機会が少なくなっている。震災を改めて身近に感じるきっかけにしてもらえれば」と話している。

同団体によるイベントは今回で7回目。福島第1原発の20キロ圏内に住んでいた避難者や、福島県郡山市から自主避難し現在は大江町で農業を営む夫婦が当時の体験や現在の生活について語る。参加者がグループに分かれて5年前を振り返るワークショップもある。

3時間程度を予定。参加無料。希望者は多田代表(080・5560・0548)に申し込むか、Eメール(311volunteermeeting@gmail.com)で、名前、性別、年齢、連絡先の電話番号などを記載して申し込む。【松尾知典】

「福島を語り継ぐ」 主婦ら子供向けの本紹介 金沢 /石川


2016年2月29日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160229/ddl/k17/040/222000c 

3月11日で東日本大震災から5年を迎えるのを前に、県内の主婦ら16人が28日、金沢市中央公民館長町館で、原発事故の被害を受けた福島を語り継ぐ子供向けの本を紹介し合った。

金沢子どもの本研究会の例会として開催された。参加者の一人は「原発事故で、生きものたちに何がおこったか。」(永幡嘉之著、岩崎書店)を解説。事故を起こした東京電力福島第1原発周辺では、大量の放射性物質に汚染されたミツを集めるミツバチや、桜並木の樹皮が除染のために洗い流された様子などを、写真付きで分かりやすく紹介している内容を説明した。

野外での高い放射線量を理由に好きなサッカーをやめた少女の話を描いた絵本「ふくしまからきた子」(絵・松本春野、岩崎書店)も話題に上った。金沢市笠舞の勝尾外美子さん(84)は「本を読み聞かせたら、子供はどんな反応をするか。それを大切に今後も活動したい」と話した。【中津川甫】

原発事故に遭った福島を語り継ぐ絵本などを紹介する参加者たち
=金沢市長町2の市中央公民館長町館で、中津川甫撮影

帰れぬ故郷、苦悩今も 県内の原発避難者、心境語る

2016年2月29日 岐阜新聞
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20160229/201602290945_26812.shtml

東日本大震災からまもなく5年を迎えるのを前に、福島県などから岐阜県に避難している人の話を聞く集いが28日、岐阜市橋本町のハートフルスクエアーGで開かれた。「今でも避難したことが良かったかどうか分からない」。避難者は避難先での生活の苦労、原発事故による放射能の健康への影響に不安が続いていると語った。

福島県などからの避難者と意見を交わす参加者たち
=28日午後、岐阜市橋本町、ハートフルスクエアーG

福島県浪江町から下呂市に避難する中学3年の佐藤さんは、避難先の小中学校でいじめられた経験を語った。靴に「福島に帰れ」と書いた紙を入れられるなど、つらい日々が続いたという。4月からは高校に進学が決まり、「これからは命を大切に前向きに生きる」と決意を語った。

放射能から「子どもを守るため」と福島県南相馬市から下呂市へ避難している小野さん。国が安全とする年間被ばく線量の数値に「福島県外に避難する人を帰還させようとしているよう」と疑問を投げかけた。

福島県いわき市から岐阜市に自主避難している小湊さんは「岐阜の近くにも原発はある。未来の子どもたちのため考え続けてほしい」と訴えた。

避難先で家族以外に相談相手が居なくて体調を崩した人の報告もあった。

自主避難者に対する住宅の無償提供は来年春、打ち切りとなる。「岐阜の地には慣れたが、支援制度打ち切りで思いは複雑だ」。避難者らは放射能の影響に不安を抱きつつも経済的事情で帰還の選択を余儀なくされることに、揺れる心境を切々と語った。

集いは、被災地や避難者の支援活動などに取り組む認定NPO法人レスキューストックヤード(名古屋市)が開いた。県内外の支援者ら約100人が耳を傾け、今後の支援の在り方を考えた。

2016/02/28

除染、5市町ほぼ完了 重点調査地域の栃木県内8市町

2016年2月28日 下野新聞
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/politics/news/20160228/2249052

2011年3月の福島第1原発事故で、「汚染状況重点調査地域」に指定された県内8市町のうち、必要な除染が5市町でほぼ完了したことが、27日までに環境省のまとめで分かった。

ただ指定解除は除染で出た土、落ち葉などの処分先を決めねばならず、現場保管を続ける各市町は解除を見通せないのが実情だ。

重点調査地域は空間放射線量が毎時0・23マイクロシーベルト以上の地域がある市町村を国が指定。国の財政負担で、市町村が除染実施計画を策定して除染を進めている。

環境省は15年末現在で「完了」「おおむね完了」「継続」の三つに区分した。

完了は佐野、大田原2市。大田原は学校・保育園など45カ所(うち除染不要15カ所)、住宅7130カ所(同4912カ所)などの除染を完了。除染不要は、個別に放射線量を測ると、基準を下回ったケースだ。

鹿沼、矢板、塩谷3市町はおおむね完了。矢板、塩谷は学校・保育園、農地・牧草地など、計画に基づく除染は完了したが「基準を上回る地域への住民転入など、さまざまな可能性を考えると完了と言い切れない」(矢板)などとした。鹿沼は該当地域の住宅約500世帯の一部が、当事者の除染申し出などがないといった理由で未完。

那須塩原、日光、那須3市町は住宅、民間施設などで一部未完があるため「継続」とされた。

ヒロシマの知見 世界救う…国際医師会議/広島

2016年02月28日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/news/20160227-OYTNT50271.html

◇放射線医療 人材育成を
医療従事者の立場から核兵器廃絶を訴える「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」の北アジア地域会議が27日、広島市東区の県医師会で始まった。2日間の日程で、放射線被曝ひばくの人体への影響などについて話し合い、核兵器廃絶に向けた広島宣言を発表する。(松本裕平)

地域会議は被爆70年を記念し、同会議日本支部が放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE◎)などと共催。この日は国内外の医師ら約170人が参加した。

基調講演で、フレッド・メトラー・ニューメキシコ大名誉教授が「被爆者の疫学調査の知見が世界で役立てられ、何十万人を救っている」と被爆者医療の意義を強調。広島で被爆し、12歳の時に白血病で亡くなった佐々木禎子さんについて触れ「核兵器は拡散しているのが現実。サダコさんのことを忘れてはいけない」と述べた。

講演で佐々木禎子さんに触れたメトラー名誉教授(広島市東区で) 

「原爆被爆医療体験の継承と国際貢献」と題したシンポジウムでは、研究者や医師ら4人が登壇した。日米共同研究機関「放射線影響研究所」(放影研、広島・長崎両市)の児玉和紀・主席研究員は、HICAREと国際原子力機関の連携に触れ、「放射線医療に携わる国際的な人材の育成に取り組んでいく」とした。

国際放射線防護委員会のクリストファー・クレメント氏は「広島、長崎の被爆者に敬意を表し、悲劇から得られた研究の結果を世界に発信していくことが我々の義務だ」と語った。広島大の神谷研二副学長は、広島の医師らの福島での活動を紹介。「福島では現時点で放射線による目立った健康影響は出ていないが、今後も注意深く見ていかないといけない」と訴えた。

◎HICARE=Hiroshima International Council for Health Care of the Radiation-Exposed

<核戦争防止国際医師会議(IPPNW)> 冷戦下の1980年に発足。米国やロシアなど62か国に支部がある。核兵器の医学的影響の研究などが認められ、85年にノーベル平和賞を受賞した。IPPNWは「International Physicians for the Prevention of Nuclear War」の略

飯舘村 シンポジウム 放射線量は6割ほど減少/福島

2016年2月28日 テレビ朝日
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000069254.html

福島第一原発事故の影響で村民全員の避難が続く福島県飯舘村について、放射能の状況を調べてきた研究者が集まり、5年間の汚染状況の推移などを発表しました。

福島市で開かれたシンポジウムには、放射能の研究者や村民ら約200人が参加しました。飯舘村の汚染状況を調べてきた京都大学の今中哲二助教や日本大学の糸長浩司教授は、独自の調査の結果、除染で放射線量が6割から7割ほど減っているなどと発表しました。一方で、依然として線量が高いホットスポットがあることも指摘しています。これについて、参加した村民からは「下がっても安心はできない」「自分は帰りたいが、子や孫の世代は難しい」などの意見が出ました。飯舘村の約6000人の村民全員が今も避難生活を強いられています。

福島復興の現実(1) 東日本大震災5年 あなたなら、戻りますか

2016年02月28日 西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/227363

馬追い神事「相馬野馬追(のまおい)」で知られる福島県南相馬市の南部、小高区。東京電力福島第1原発事故による避難指示が今春、解除される見通しだ。日中は、自宅の片付けのために行き交う人がちらほらいた。

不通が続くJR常磐線の小高駅の前にある「双葉屋旅館」の4代目おかみ、小林友子さん(63)も帰還準備を進める。避難先を転々とし、市内の仮設住宅に移った3年前から毎日、車で通い、駅周辺に花を植え続けてきた。信号は消えたまま、人の往来もなく「街に色がなくなったから」。

海岸から3キロの旅館は津波被害を受け、2年かけて改修を終えた。仮設暮らしの人たちが作った手芸品などを販売する倉庫は、久々に顔を合わせる住民たちの集いの場になっている。

小高区は原発20キロ圏にほぼすっぽり入る。放射性物質の除染で出た土やがれきを入れる黒い袋「フレコンバッグ」があちこちに無造作に置かれている。

事故前、小高区の人口は約1万2800人だった。避難指示解除後に戻る意思を示しているのは1100人余。「3年前ならもっといたかも。5年は長かった」と小林さん。それでも「古里はここだけ」と戻ることを決めた。
双葉屋旅館の前で、冬の寒さに耐えて花を咲かせたスミレソウに笑顔を見せる小林友子さん。
左奥はJR小高駅=17日、福島県南相馬市


小林さんと住民支援団体をつくる広畑裕子さん(57)は昨年10月、双葉屋旅館の近くに交流拠点施設「おだかぷらっとほーむ」を構え、避難住民への情報発信を続ける。施設を訪れる人は少しずつ増えてきた。ただ、広畑さん自身は思い悩む。「戻るかどうか、よく聞かれるんだけど」。あなたならどうしますか、と逆に聞き返してしまう。

広畑さんの自宅は原発から約11キロ。「原発でまた何かあったら…」。古里に戻ろうとする住民を支援しながら「帰る」と言い切れない自分に決断を迫ると、悩みが深まる。「だから今は帰るかどうか、決めないことに決めたっぺ」。そう語る目は悲しげだった。
   ◇    ◇
長すぎた5年、避難先に新居
奥羽山脈を仰ぎ見る福島市。東京電力福島第1原発事故の影響で全村避難が続く福島県飯舘村から移住している農家、菅野哲さん(67)は、同市に完成間近の新居を心待ちにする。

村は放射性物質の除染を急ぎ、2016年度末までに村内のほとんどの区域で避難指示を解除し、帰村を促す方針を掲げる。

菅野さんは村の山裾に農地2・5ヘクタールを残す。ギンナンの実を収穫してきた230本のイチョウのことが頭を離れない。ただ、山に入れば、木々の周辺で毎時20マイクロシーベルトと線量計が跳ね上がる所もある。国が一時避難の目安とするレベルだ。

「農地はいつ使えるようになるのか。被ばくの影響も不安だ」。元村職員の菅野さんですら帰村の方針に疑問を抱き、村から西へ30キロ以上の同市内に家を建てることを決断した。

新居のそばに、雪に覆われた1ヘクタール余の共同農場があった。散り散りとなった村民が土に触れられるように11年8月に借り上げた。高齢者が車に乗り合って集まり、野菜を収穫する。

「何十年と培ってきた村の人間関係が壊された。ここを新たに村民が集う場にしたい」。建設中の農業倉庫を見ながら夢を語る菅野さんは「村を捨てたのではない。捨てさせられたんだ」と声を落とした。

福島県飯舘村から避難中の菅野哲さん。
3月12日、福島市内の新居に引っ越す予定だ
=2月13日、同市
◇    ◇

帰村を諦め、避難先での定住を決めた人は珍しくない。福島市内に土地を見つけ、家を建てた女性(40)は重い口を開いた。「近所の人に、飯舘村から来たとは明かしていない」。東電から受け取った賠償金のことで、あらぬうわさが広まるのを恐れている。

中学生の息子(13)は市内に仮校舎がある村立中に通学する。避難指示が解除されると、学校は村内で再開されるが、新居近くの中学に転校させるか、村の学校に同市から通わせるか。踏ん切りはつかない。

女性は「まだ放射線量が高い」と村へ通わせることに不安を抱き、息子は「これ以上、友達が減るのは嫌だ」と逆の意見。その選択が「子どもには本当にストレスになっている」。

避難指示が出ている同県内9市町村のうち、「帰還困難区域」が大半を占める双葉町以外で順次、帰還の話が進む。飯舘村では、村外で住居を取得したとみられる人は全村民の3分の1の2300人。昨年9月に避難指示が解除された楢葉町では全町民7300人のうち、戻ったのは6%ほどだ。



なお残る放射線への不安と、5年にわたる地域社会の分断。戻るべきか、戻らぬべきか。避難指示の解除は、被災者たちに新たな難題を突きつけている。
   ◆    ◆

福島第1原発事故から間もなく5年。福島は復興への歩みを確かなものにしているのか。現場から報告する。

社説 フクシマで考える<下> 私たちはどこへ向かう

2016年2月28日 中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016022802000104.html

中国の旧正月、春節を祝うギョーザが食卓に並んだ。雪が舞った二月、福島市内の仮設住宅に左官業の中野敏信さん(72)=写真=を訪ねた。四畳半二間。薄いサッシ窓が曇る。中国東北部出身の妻(49)が「今日は寒いね」と首をすくめた。


原発事故の前年に結婚した夫妻は敏信さんの郷里、浪江町で暮らしていた。だが事故で土地を追われ、一時は中国にも避難した。

二〇一七年三月までに、放射線量が高い「帰還困難区域」を除く全地域で避難指示の解除が計画されている。全町避難が続く浪江町も対象だが帰還希望者は少ない。

中野さんも、資材が置ける一戸建てを郷里に近い南相馬市やいわき市に考えているが、移住者が殺到し地価が跳ね上がった。手元資金では足りず、毎日早朝から約七十キロ離れた南相馬市の建設現場に通っていたが、三カ月前に足を痛めて働けなくなった。「原発事故がなければ、古い家でもそれなりに暮らせたのに。生活の立て直しはそんな簡単なものではねえな」

避難指示が解除されれば一年後には賠償も打ち切られる。解除の後も被ばくの影響を心配し、避難先に残る人々はすべて「自主避難者」となっていく。

福島県が自主避難を続ける人に行う住宅の無償提供は、一七年三月に打ち切られる予定だ。南相馬市から神奈川県に避難し、被害の完全賠償を求める集団訴訟で原告になった山田俊子さん(75)は言う。「私たちも本当は帰りたい。でも…。住まいという生活基盤を奪うのは、被ばくを避ける権利の侵害ではないでしょうか」

「避難の選択」は震災翌年に成立した子ども・被災者支援法で認められているが、政府は柱の政策を骨抜きにしようとする。

「俺たちはどこに向かっていくのか、羅針盤がほしい」と中野さんは言う。未曽有の原発災害を起こした責任は国と東電にある。その原点に返り、苦境に立つ避難者を切り捨てるようなことをせず、救済と、長くかかる生活再建を支えていくべきだ。 (佐藤直子)

避難者が交流会 復興の状況報告/秋田

2016年02月28日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/local/akita/news/20160227-OYTNT50267.html

東日本大震災や東京電力福島第一原発事故で県内に避難した人たちを対象にした情報交換・交流会が27日、秋田市の県生涯学習センターで開かれ、岩手、宮城、福島県からの避難者約60人が参加した。避難者らによるミニコンサートもあり、参加者が耳を傾けた。

交流会を主催した県によると、県内への避難者(1日現在)は843人。このうち、福島県からの避難者は604人と、約7割を占める。

この日は、被災地の自治体職員が復興の進捗しんちょく状況を報告し、帰還に関する相談に応じた。また、避難者ら6人がミニコンサートを開き、ピアノやベースなどの演奏を披露し、参加者で復興支援ソング「花は咲く」を合唱した。

福島県郡山市から秋田市に避難している臼田麻美さん(36)はピアノ伴奏を担当。「3月に宮城の実家へ引っ越すため、記念に参加した。秋田での4年半の生活を振り返ると、いい思い出ばかりだった」と話した。

避難者の県内転居助成/秋田

2016年02月28日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/local/akita/news/20160227-OYTNT50265.html

◆県、仮設家賃補助終了で
県は、東日本大震災で県内へ避難している人の生活再建支援の一環として、県内の別の住居に引っ越す際の転居費用を助成する。新年度一般会計当初予算案に400万円を計上した。福島県と宮城県が、被災時の居住地によって、一部の避難者への仮設住宅の提供を2016年度で終えるためだ。県によると、多くの避難者が暮らす都県で、域内の転居費用を助成するのは秋田が初めてという。

仮設住宅は、民間借り上げのほか市営住宅などがあり、家賃は現在、災害救助法に基づき、避難者が住んでいた福島、宮城、岩手の3県がそれぞれ負担しているが、一部については負担の期限が定められた。

今月1日現在、県内へは340世帯が避難しているが、そのうち福島と宮城からの約100世帯、約300人の仮設住宅の家賃補助が、2016年度末で終了することになったという。

そこで、県は期限後も県内での生活を希望する避難世帯に対し、所得制限なしで転居費用を10万円を上限に助成する。県内の新たな住居への住民票の異動が条件で、県被災者受入支援室によると、避難者からの聞き取りで40世帯ほどの希望があるとみられる。同室は「秋田にいたいという避難者をしっかり支援していきたい」としている。県議会で予算案が可決され次第、対象者に制度を周知する。

福島市から避難し、秋田市で戸建てのみなし仮設住宅に暮らす男性(53)は「ゆくゆくは秋田県内に定住するため、引っ越しを考えており、補助はありがたい」と話した。

2016/02/27

廃棄物の試験焼却開始 長期保管へ体積減らす /福島


2016年2月27日 産経新聞
http://www.sankei.com/photo/story/news/160227/sty1602270006-n1.html 

東京電力は、福島第1原発の廃炉作業に伴い増え続ける廃棄物の体積を減らすための「雑固体廃棄物焼却設備」の試験焼却を開始した。水滴漏れが見つかり、機器の点検や交換で約2週間遅れた。3月末までの本格運用開始を目指す。

焼却設備は昨年11月に敷地内に完成。事故前からあった設備が震災の影響で使えなくなり新設した。放射性物質で汚染された使用済みの防護服などを燃やして体積を減らし長期保管しやすくする。

第1原発では現在、1日約7千人の作業員が働いている。廃棄物として保管されている防護服などの衣類は昨年末時点で約7万立方メートルにのぼり、将来的に保管場所がなくなる恐れがあった。焼却により体積を50分の1程度に減らせるという。

試験焼却を開始した福島第1原発の雑固体廃棄物焼却設備=15日

3/13住まいをまもろう!第5回広域避難者集会2016のご案内

2017年3月で避難区域以外からの原発事故避難者に対する避難住宅の提供が打ち切られようとしています。同じ時期までに帰還困難区域以外の避難指示も解除する方針といいます。避難指示が解除された区域でも、避難住宅の提供の打ち切りが早晩問題になると思われます。一方で、避難者の多数は2017年3月以降も避難住宅の継続を望んでいます。行政の方針と避難者の意向が真っ向からぶつかり合うなか、全国の避難者は住宅打ち切り問題にどのように対処すべきでしょうか。原発避難者問題を鋭く取材している日野記者の講演、各地の避難者の皆さんのリレートークを交えながら、皆で考えたいと思います。ぜひ、ご参加ください。

とき  2016年3月13日(日)午後1時~3時30分(0時30分開場)
ところ 弘済会館4階「蘭」(東京都千代田区麹町5-1)
    (JR四ツ谷駅麹町口徒歩5分、地下鉄四ツ谷駅1番出口徒歩5分、
           地下鉄麹町駅2番出口徒歩5分)

第1部 講演「原発棄民 フクシマ5年後の真実」
      講師 日野 行介 氏(毎日新聞記者)

第2部 避難者リレートーク
     テーマ 「住宅打ち切り問題に避難者はどう対処すべきか」
    お話  首都圏・山形など各地の避難者のみなさん
    まとめ 鴨下 祐也(ひなん生活をまもる会代表)
          森川  清(弁護士・東京災害支援ネット代表)

※参加無料・予約不要・どなたでも参加いただけます。

☆避難者の皆さんへ:別室でお子さまの見守りをいたします☆
 各自好きなおもちゃや本などをもたせてください。なるべく事前申し込みをお願いいたします。
  申し込み:きらきら星ネット0120-077290
                kirakiraboshinet@gmail.com

主催・お問い合わせ:東京災害支援ネット 避難者相談電話0120-077-311
共催:ひなん生活をまもる会、きらきら星ネット
         独立行政法人福祉医療機構 社会福祉振興助成事業

3/13 東京/シンポジウムのお知らせ「子どもの未来を語ろう」

子どもたちの健康と未来を案じるママたちのために
~ アーニー・ガンダーセン、メアリー・オルソン、スティーブン・リーパー滞日企画 ~
◆◆ 「子どもの未来を語ろう」 ◆◆

日 時:3月13日(日)13:30~15:30 13:00開場
会 場:田中八重洲ビル 2階A会議室 東京駅 徒歩3分
    http://www.kaigisurunara.jp/access.html
話 者:メアリー・オルソンさん.牛山元美医師、遠藤順子医師

資料代:中学生以上500円
    大人1500円~(資料代500円+1000円~ご寄附をお願 いします)

申込み:https://ssl.form-mailer.jp/fms/758a556b408210
共 催:明日は我が身のフクシマ実行委員会
    ピース・ブラットホーム

※避難者の方は申込みの際にご相談ください。
※開催までの間にお知らせも予定しております。
 メールアドレスをお間違えのなく入力ください。

●◇- 詳細 -◇●
見えない放射線から、我が子を守りたい!! 家族を守りたい!!
女性とこどもたち、老人と免疫力の弱い健康弱者に忍び寄る放射線被害!!
東京電力福島第一原子力発電所の事故による、深刻な放射線被害は、
福島県内はもとより、東北各県、北関東各県、首都圏に及んでいます。
被害の状況も、日常生活の全域にわたり、さらに困難さを増しています。

今回の企画では、放射線被害研究の第一人者メアリー・オルソン女史と、
この分野で尽力している女医の牛山元美医師、遠藤順子医師を迎えて、
汚染の実体、被曝の現状や影響、そして私たちにできる対策などを話して
いただきます。
貴重な機会ですから、ぜひご参加ください。

★【 メアリー・オルソンさん 】★
米国の原子力情報サービス(NIRS)の生物学者。
NIRS は、原子力発電による放射線被害を懸念する情報を市民に提供する組織。
お父様は、マーシャル諸島での核実験後の海水サンプルを研究していた。
メアリーさんは、若い医学生の頃に仕事中、大変な被ばくを経験。
放射性廃棄物、放射線の問題を 20 年以上研究し、その問題の重大さを社会に訴えています。
近年では、2014 年 12 月「核兵器の人道上の影響に関する第 3 回国際会議」(ウィーン)、
2015 年 5 月「核兵器不拡散条約の再検討会議NPT)」(国連本部・ニューヨーク)などで
スピーチを行なっています。
とりわけ、「放射線の影響は、男性に比べ女性が高く受ける」という研究報告が注目されています。 〔NIRS http://www.nirs.org/

福島、京都、東京でのママさんたちとのミニ茶会を経て、日本縦断講演会を終え、声をじっと聞き、被ばくへの防護についてお話されました。

★【 牛山元美医師 】★
 さがみ生協病院の内科医として勤務。
 ベラルーシで甲状腺研修を受け、関東、福島県で甲状腺エコー検診を始め、
 いち早く放射能検診に取り組まれてきました。
 首都圏、特に神奈川県内での検査について詳しくご存じです。
 多くの母親との検診を超えた交流から、市民とともに「放射能から子どもを守る」活動を続けてい  ます。
医療生協の保健学校や班会、また地元の自治会主宰の健康講座などでお話もされています。
地域の小学校の校医、大学病院での診療も続け、研究会、学会などにもできるだけ参加しています。

★【 遠藤順子医師 】★
  青森県弘前市にある健生病院の内科医として勤務。
  室蘭栄高校を卒業し室蘭­工業大学に進学しました。
   卒業後は技術エンジニアとして企業に就職。
 その後、思う処あり、医師になる志を立て弘前大学医学部に入学されました。
 甲状腺やリンパ節その他の臓器を超音波やCTなどの検査機械を用いて
 画像診断をすることがあります。
 福島から避難している人たちの甲状腺エコー検査をしたり、健康上の問題など相談を受けています。
 化学を含む様々な見地から、福島周辺で起こっている健康被害は、放射能との因果関係抜きには考えられないと実感されています。



◎震災5年へ(中)風評の壁  <検証福島の海>厳格検査も食卓遠く

2016年2月27日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201602/20160227_63010.html

安全安心は膨大な検査作業の先にある。手間を惜しんではいられない。

試験操業が行われた17日、いわき市の小名浜魚市場に、各浜の水揚げが集まってきた。マガレイ、マダラ、アンコウ。出荷に向けて漁協職員らが選別、計量に追われながら、魚種ごとに必要な数を小さなバケツへと入れる。放射性物質検査のサンプルだ。

市場内の専用施設でミンチ状や切り身に処理し、9台の検査機にかける。結果が出るまで約30分。導入したばかりの新型機なら最短約3分で終わる。この過程をクリアしなければ、魚が出回ることはない。

「どの船が、何時に、どこで捕ったかを特定した上で検査する。安全性の確認は福島の漁業再興
の生命線だ」。いわき市漁協の担当者が口調を強めた。


放射性物質濃度を調べるため、検査施設に持ち込まれた魚
=17日、いわき市の小名浜魚市場

<回復進展示す>
法定の放射性セシウム濃度の基準値は1キログラム当たり100ベクレル。福島県漁連は独自に50ベクレルと定めている。検査体制を整え厳格に基準を運用していても、東京電力福島第1原発事故がもたらした風評被害は収まらない。

消費者庁の調査では、2割近くの市民が福島の産品の購入をためらっている。いわき仲買組合の遠藤浩光組合長(56)は「原発事故という事実は風化しても、フクシマというイメージは風化しない」と嘆く。

各種の数値を見る限り、福島の海洋環境は着実に回復している。

福島県水産試験場の調査では、2011年に法定基準を超えた検体は4割近く。翌年から急減し、15年には全体の0.1%を割り込んだ。9割近くは検出限界値にも届いていない。

全量検査して出荷すれば、一定の信頼回復が見込める。しかし、処理過程で鮮度が落ちれば、商品価値そのものが失われかねない。

「コメのように袋ごと検査するわけにはいかない。魚介類特有の難しさがあるんです」。試験場の藤田恒雄漁場環境部長(56)が苦り切った表情を見せた。


<直接消費者に>
消費者になかなか届かない安全安心のメッセージ。浜では、食卓に直接アプローチする取り組みも進む。

相馬市の漁業者でつくる産直研究会は1月、カレイの一夜干しづくりを始めた。原発事故で休止に追い込まれ、ことしは再開2年目。300匹をセット販売する計画だ。

顔の見える関係で消費回復を図る狙いだが、限界もある。試験操業の水揚げは港ごとに一括して取引される。自分の魚だけを仕入れることはできない。

「以前は自分の魚箱を競り落とせばよかった。『俺の魚だ』と胸を張れれば、訴求力も高まるのだが…」。研究会の市田良夫会長(57)が唇をかんだ。

3/12・13須賀川 <3.11映画祭>震災後見詰める2作品/福島

2016年2月27日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201602/20160227_65056.html

福島の今をインタビューで発信する一般社団法人「ヴォイス・オブ・フクシマ」(佐藤正彦代表)は3月12、13の両日、須賀川市内で「3.11映画祭」を開く。映画を通して、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後の社会に向き合い、未来について考える。

アートや文化の力で復興を後押しする「わわプロジェクト」(東京)が企画する映画祭に賛同し、全国約30カ所のサテライト会場の一つとして参加する。

12日は「フクシマ後の世界」(渡辺謙一監督)、13日は、福島の子どもたちの生活や健康に与える影響を追った「A2-B-C」(イアン・トーマス・アッシュ監督)を上映。いずれもドキュメンタリーで、監督を招いて意見も交換する。

「ヴォイス・オブ・フクシマ」は震災を風化させないため、福島の生の声を取材。同県富岡町の災害FMなどで放送している。佐藤代表は「作品を見ることで、福島を外から見詰めている人たちの考え方や思いを知る機会になる」と話す。

会場は自然食レストラン「銀河のほとり」。両日とも定員30人で、チケットは食事代を含め1500円。予約は佐藤代表090(7073)3299。

2016/02/26

「被曝線量の長期目標」はいかに実質緩和されたか

情報公開請求で朝日新聞に開示された「極秘資料」を読み解く

2016年2月26日 朝日新聞
http://webronza.asahi.com/business/articles/2016022400004.html

「細野発言は想定外」

丸川珠代環境相が、東京電力福島第一原発事故で、国が追加被曝(ひばく)線量の長期目標として示している年間1ミリシーベルトについて、「何の科学的根拠もない」などと講演で発言したことを認め、発言撤回に追い込まれた。だが元々、関係省庁には、年1ミリシーベルトまで除染することに懐疑的な見方が強く、すでに被曝線量の把握方法を変えるやり方で実質的な緩和が図られていた。その策を練った会議資料が、朝日新聞の情報公開請求でこのほど復興庁などから開示された。この開示資料から検討内容を探った。

佐藤雄平・福島県知事との会談を終え、記者の質問に答える細野豪志原発相兼環境相
=2011年10月2日、福島市の福島県庁

福島第一原発の事故の後、当時の民主党政権は、空中の「空間線量」から推計された数値をもとに、年5ミリシーベルト以上の地域で除染を行う考えだった。

それが、細野豪志環境相が11年10月、福島県知事に対して年1ミリシーベルト以上の地域も国の責任で除染する方針を表明し、住民の多くは、空間線量で年1ミリシーベルトを「安全の基準」ととらえた(年1ミリシーベルトは、政府の一定の仮定を置いた計算で毎時0.23マイクロシーベルトになる)。

この「除染=年1ミリシーベルト」方針は、経産官僚に言わせると「想定外の発言。あれで除染地域が広がり、費用の桁が変わった」という。除染費用は国が立て替えるが、後に東電に請求されるため、除染の費用増大で東電の経営再建が厳しくなることも意味していた。

それが、政権交代後の2013年12月、安倍政権は閣議決定した新たな福島の復興指針で、帰還者の被曝線量の把握方法について、それまでの空間線量からの推計を、住民に配った個人線量計による計測へと見直す方針を打ち出した。個人線量計だと、空間線量より低い数値になり、実質的な除染基準の緩和につながると見込まれた。

「対外厳秘」「取扱注意」の文字
今回、開示されたのは、そうした方向を打ち出した「線量水準に応じた防護措置のあり方に関する関係課長打ち合わせ」との名称の会議の資料。13年の春から夏にかけての計7回分、154ページあった。その多くに、「対外厳秘」「取扱注意」の文字が付されていた。

会議のメンバーは、復興庁や内閣府原子力被災者生活支援チームなど関係省庁の幹部らで構成。東京・赤坂の復興庁などで開かれたとみられる。その存在はこれまで公にされていなかったが、開示資料からは、空間線量から個人線量計への方針転換を周到に準備していたことが分かる。

まず、関係者らは13年4月1日の初回から、個人線量計に着目していた。この日の会議資料は、「ミッション」として、「被ばく線量の『実測値』に基づく防護措置の考え方を示す」とあり、「空間線量等による推計値/ガラスバッジ(個人線量計)等による実測値」といった「論点」を示した。

2013年4月1日の会議資料から。「ガラスバッジ(個人線量計)」に
当初から着目していたことが分かる

「チェルノブイリ原発事故後」を調査するため海外出張

会議のメンバーらは、この年の4月下旬から5月中旬にかけ、チェルノブイリ原発の事故後の対応を調査するため、分担してロシアやウクライナに出張。6月17日に開かれた3回目の会合には、その出張をもとにつくった「チェルノブイリ原発事故に関する中間調査レポート(たたき台)」が出された。

同レポートは、チェルノブイリ原発事故の対応との比較で、日本の従来の空間線量をもとにした推計手法について、「屋外8時間」「建物は木造家屋」などと置いた「仮定」を理由に、「実効線量を『単純』『保守的に』推計」していると評価した。過大な数値が出ているとの見方だ。

2013年6月17日の会議資料から。従来の日本の推計手法を「単純」「保守的」と評価している
個人線量計の数値が空間線量より低いことを押さえていた
また、チェルノブイリ原発事故後の除染については、「放射線量の低下がそれほど期待できないとされた森林等は、除染が行われなかったが、汚染マップの作成、立ち入り制限等が行われた」と記していた。環境省は後に、住宅など生活圏から離れた森林の除染を実施しない方針を打ち出すが、それにつながる記述だった。

6月28日に開かれた4回目の会合資料には、個人線量計で11年に測った線量が示されており、二本松市では、「空間線量の約36%」と低い値だったことを明示。同様に、郡山市で約24%、福島市で約22%とあった。個人線量計の数値が、空間線量より低い値になることを押さえていた。

2013年6月28日の会議資料から。
個人線量計だと空間線量より低い数値になることが示されていた

費用がかさむ除染や避難は「緊急的」な対応

日付不明の6回目の会議には、それまでの議論をまとめる形で、「『放射線被ばくに係る安全・安心対策の基本的方向』取りまとめイメージ」と題した資料が出された。この資料は、「除染・避難に依拠した緊急的な対応から、人に着目したきめ細かな対応の必要性」を強調。費用のかかる除染や避難はあくまで「緊急的」な対応と位置づけた。

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(残り:約1667文字/本文:約3607文字)

大崎・化女沼の魚、セシウム半減に420日 /宮城


2016年2月26日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160226/ddl/k04/040/179000c

実験値の3倍遅く「食物連鎖で吸収続く」

東京電力福島第1原発事故で大崎市の化女(けじょ)沼に生息する魚が体内に取り込んだ放射性セシウム濃度が半減するのに成魚で420日かかり、追加被ば くがない環境での実験値の3倍近く遅くなっていることが近大の山崎秀夫教授(環境解析学)らの共同調査で分かった。【山田研】

山崎教授は「問題視するような汚染度ではないが、事故から時間がたっても食物連鎖などで放射能の吸収が続いていることが裏付けられる」と分析する。表層 の水は出入りするものの魚類の移動は無い化女沼では、プランクトンを食べた小魚をさらに大きな魚が食べて濃縮されたセシウムが、その死体を分解するプラン クトンにまた吸収される食物連鎖があるとみられる。

2012年5月〜15年10月、NPO法人「エコパル化女沼」(同市)が採取したバスやブルーギルなどを調べたところ、バスの成魚から12年に食品の基 準値(1キロ当たり100ベクレル)を超える最大185ベクレルを検出した。平均77ベクレルだった。ただ14年以降は全て基準値を下回り、15年には平 均23ベクレルまで減った。ギル成魚の平均値も4年間で56ベクレルから20ベクレルに減った。

山崎教授はデータを基に生態学的半減期を両種とも420日と算出した。これまでの各国の研究では、セシウムに汚染された水槽に一定期間入れた後できれい な水に移して調べた際の半減期は、内水面の淡水魚で約150日だった。山崎教授の調査では、食物連鎖以外に卵の汚染も判明した。ただ親魚と比較すると、濃 度はほぼ半分だった。

山崎教授は「汚染度が高い福島県の内水面や山林では食物連鎖による汚染継続を想定した対策を取るべきだ」と指摘する。

原発事故避難者向け89% 地震・津波被災者は92% 1月末の災害公営住宅入居

2016年2月26日 福島民報

https://www.minpo.jp/news/detail/2016022629146

県は25日、災害公営住宅の1月末時点の完成戸数や入居済み戸数などを発表した。完成戸数に対する入居済み戸数の割合は東京電力福島第一原発事故の避難者向けが89%、東日本大震災の地震・津波の被災者向けが92%となっている。

計画全体に占める完成した戸数の割合は地震・津波被災者向けが約78%である一方、原発事故避難者向けが20%にとどまっている。


基準超の指定廃棄物24%に 5県で10年後、環境省試算

2016年2月25日 中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016022501002024.html

環境省は25日、東京電力福島第1原発事故で発生した栃木など5県の指定廃棄物2万5457トンに関し、10年後の2026年には放射性セシウム濃度が国の基準(1キログラム当たり8千ベクレル)を超す量が、全体の24%に当たる6224トンまで減少するとの試算結果を公表した。

放射性セシウム濃度が原発事故後の時間経過に伴い低下することを踏まえ、環境省は現時点の廃棄物量に基づき濃度などを試算。26年時点で基準を超す量は、県別では宮城が6%の194トン、栃木が31%の4250トン、群馬は23%の269トン、千葉は41%の1510トンまで減少するとした。



原発事故の指定廃棄物 10年後には4分の1に

2016年26日 NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160226/k10010422181000.html

東京電力福島第一原子力発電所の事故で発生した指定廃棄物について、環境省は、東北と関東の5つの県で国の基準の濃度を超えるものは当初のおよそ6割まで減り、10年後には4分の1にまで大幅に減少するとする推計結果を明らかにしました。

放射性物質を含む指定廃棄物を巡って、環境省は25日、東北と関東の5つの県で一時保管されている廃棄物の放射性物質の濃度の推計結果を明らかにしました。

それによりますと、国の基準を超える廃棄物は、群馬県で538トン、茨城県で1030トン、宮城県で1090トン、千葉県で2500トン、栃木県で9680トンとなり、合計すると当初のおよそ6割まで減少していることが分かりました。

さらに、今から10年後には、群馬県で269トン、茨城県で0.6トン、宮城県で194トン、千葉県で1510トン、栃木県で4250トンで、当初の4分の1まで大幅に減少すると見込まれることが分かりました。

指定廃棄物を巡っては、現在の場所で保管を続けることを決めた茨城県を除く4県では、新たに処分場を建設するという環境省の方針に対し地元が強く反発しています。

井上環境副大臣は記者会見で「災害のリスクを回避する観点などから県内1か所で安全に管理することが必要だと考えており、推計結果でこの方針が変わることはない」と述べ、4県では当初の計画どおり処分場の建設を求める考えに変わりはないことを明らかにしました。




指定廃棄物  4割減少、10年後には8割減…環境省試算

2016年2月25日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160226/k00/00m/040/083000c

環境省は25日、東京電力福島第1原発事故で発生した放射性物質を含む指定廃棄物について、年月の経過で濃度が基準を下回ることを考慮すると、1月現在で当初量より約4割減少しているとの試算を発表した。今から10年後では8割弱減るといい、今後の処分法を巡る議論に影響しそうだ。

指定廃棄物は放射性物質濃度が1キロ当たり8000ベクレルを超える稲わらや焼却灰、汚泥などを指し、発生量の多い宮城、栃木、茨城、群馬、千葉の5県では国が各県内で処分する方針が決まっている。国は茨城では現状の分散保管を続け、4県では1カ所に集約する方向で調整している。

試算によると、5県には当初2万5457トンが保管されていたが、放射性セシウム134の半減期は2年と短いため、基準超の廃棄物は1月現在で41.7%減の1万4838トン、2026年1月時点で75.5%減の6223トンになる。

また、国が指定を解除して一般廃棄物として処理するには自治体などとの協議が必要で試算がそのまま指定廃棄物の減少になるわけではない。【渡辺諒】



指定廃棄物4割が基準値下回る推計~環境省

2016年2月25日  日テレニュース
http://www.news24.jp/articles/2016/02/25/07323348.html

環境省は、東京電力・福島第一原発事故で発生した放射性物質を一定以上含む「指定廃棄物」について、指定時に比べて、全体の約4割がすでに基準値を下回っているとする試算を発表した。推計を公表した背景には、地元の抵抗感を緩和する狙いもあるとみられる。

環境省は、東京電力・福島第一原発事故で発生した放射性物質を一定以上含む「指定廃棄物」について、指定時に比べて、全体の約4割がすでに基準値を下回っているとする試算を発表した。

環境省は、1キログラムあたり8000ベクレルの基準を超える放射性物質を含むゴミ=「指定廃棄物」について、宮城・栃木・千葉・群馬・茨城の5つの県では、それぞれの県内に新たに1か所、最終処分場を造る方針。

こうした中、環境省は25日、指定廃棄物の放射性物質の濃度の推計値などを発表した。これによると、5県全体では指定廃棄物の約4割がすでに基準値を下回っていると推計されるという。

また、栃木県にある約1万3500トンの指定廃棄物のうち、現在、3割近くがすでに基準値を下回ると推計され、5年後には半分が基準値を下回ると推計されている。千葉県でも5年後には現在の保管量の約半分が基準値を下回ると推計されるという。

さらに、宮城県にある約3400トンの指定廃棄物について環境省が再測定をしたところ、現在すでに7割以上が基準値を下回っており、5年後には9割以上が基準値を下回ると推計されるという。

これまでに処分場候補地に指定された自治体は、いずれも処分場建設に反対していて、環境省が今回推計を公表した背景には、地元の抵抗感を緩和する狙いもあるとみられる。

国勢調査  総人口1億2711万47人、初の減少くっきり


2016年2月26日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160226/k00/00e/010/111000c 

15年速報値 39道府県で人口減、福島県は過去最大

高市早苗総務相は26日午前の閣議で、昨年10月に実施した2015年簡易国勢調査の速報値を報告した。昨年10月1日現在の外国人を含む日本の総人口は1億2711万47人で、10年の前回調査から94万7305人(0.74%)減り、1920(大正9)年の調査開始以来、初めて減少に転じた。39道府県で人口が減少し、11年に東京電力福島第1原発事故が起きた福島県は、過去最大の11万5458人減となった。

厚生労働省の人口動態統計では05年に初めて出生数が死亡数を下回った。10年調査からの減少について、総務省は死亡数が出生数を上回る「自然減」が主な要因とみている。

前回調査から人口が増えたのは、「東京圏」の東京、神奈川、埼玉、千葉4都県と、沖縄、愛知、福岡、滋賀の各県。

人口増加率は、出生率が高く死亡率が低い沖縄県が2.97%増でトップ。前回1位の東京都は2.69%増で2位だった。減少率が最も高かったのは秋田県で5.82%減。福島県の5.69%減、青森、高知両県の4.71%減が続いた。大阪府は0.30%減で、第二次世界大戦の影響で減った、47年の臨時国勢調査を除くと戦後初めて人口が減少した。

福島県の減少率は、原発事故前の10年調査(2.98%減)からほぼ倍増した。東日本大震災の被害が大きかった岩手県(3.78%減)と宮城県(0.59%減)は、10年調査の減少率と同水準だった。

全国1719市町村の8割を超す1416市町村で人口が減少し、半数近い828市町村では10年調査より5%以上減った。

福島県内では、全域が避難指示区域になっている6町村のうち大熊、双葉、富岡、浪江4町は人口がゼロ。飯舘村は99.3%減の41人、葛尾村は98.8%減の18人だった。15年調査の直前の昨年9月5日に避難指示が解除された楢葉町は87.3%減で、全域が避難指示区域の6町村を除くと、減少率が全国で最も高かった。次いで宮城県女川町(37.0%減)、同県南三陸町(29.0%減)と被災地が上位を占めている。

全国の世帯数は前回比2.8%増の5340万3226世帯となり、比較可能な1960年以降では最多を記録。1世帯当たりの平均人数は前回比0.08人減の2.38人で、60年以降最少になった。【青木純】

福島の人口5.7%減、原発事故の爪痕深く 15年国勢調査

2016年2月26日 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS26H5Z_W6A220C1PP8000/ 

2011年の東日本大震災の爪痕が深く残っていることが、総務省が26日公表した国勢調査で明らかになった。被災した県のうち、東京電力福島第1原子力発電所事故が起きた福島は10年の前回調査に比べ人口が5.7%減った。減少率は05~10年の5年間に比べて2.7ポイント大きくなった。岩手も3.8%減った。復興需要で人口が流入した宮城は0.6%減に踏みとどまった。

今回は震災以降、初の国勢調査だ。同調査は住民票がある自治体ではなく、実際に住んでいる場所で人口をカウントしている。人口の増減を市町村別に見ると原発事故の避難区域や津波の被害を受けた沿岸部で人が戻っていない。

福島では全域が原発事故の避難区域になった富岡、大熊、双葉、浪江の4町で人口がゼロになった。楢葉町も87.3%減り、全国で最も減少率が大きかった。県内は現在も9市町村に避難区域がある。ただ県の調べによると、県外から県内への移住世帯数は震災直後の11年度に大幅に落ち込んだものの、その後は徐々に回復している。

国勢調査は国から地方に配る地方交付税の算定に使われる。福島県は人口減で交付額の減少が見込まれる。内堀雅雄知事は「各自治体の個別の算定状況を注視しながら、関係自治体の財政運営に支障が生じることがないよう対応したい」としている。

宮城では仙台市の人口が3万6199人増えた。ただ津波で大きな被害が出た女川町では37.0%減、南三陸町は29.0%減と軒並み人口を大きく減らした。

福島/小・中学生からセシウム検出せず 相馬市・内部被ばく検査

2016年02月26日 福島民友
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20160226-053169.php

相馬市は26日、本年度に内部被ばく検査を受診した市内の小、中学生2592人全員が検出限界値を下回ったと発表した。現出限界値は放射性セシウム134が220ベクレル、同137が250ベクレル。

24日現在のまとめ。全体の受診者数は4697人で、小、中学生を除く15人から微量の放射性セシウムを検出した。今後体内から受ける被ばく線量を示す預託実効線量が1ミリシーベルトを超えた受診者はなく、市は健康被害は出ないとみている。

値が最も高かったのは同市飯豊地区の男性(67)で、預託実効線量は0.186ミリシーベルトだった。市によると、男性は東京電力福島第1原発事故で出荷制限のかかった食品を未検査で食べていた。

検査は年度末まで続ける。26日の市災害対策復興会議でデータを示した立谷秀清市長は「今までの検査結果から、相馬の子どもに放射能の影響はないと判断できる。今後5年間は線量の検査を続ける」と話した。

丸川環境相“失言”を叱る 被曝「1ミリ」の根拠を勉強せよ

(文中の この「参考レベル」には、次のようなただし書きもある。「すべての住民の被曝線量が参考レベルを直ちに下回らなければならないものではなく、対策を講じて漸進的に下げていくためのもので、被曝の“限度”や、“安全”と“危険”の境界を意味するものでは決してない」”という文言をとりあげていることに注視したい。1ミリシーベルトを事実上骨抜きにしようとする姿勢が見え隠れしているように感じます。 子ども全国ネット)



2016年2月20日 産経新聞
http://www.sankei.com/premium/news/160220/prm1602200025-n1.html

昨年10月に就任した丸川珠代環境相が初の試練に立たされた。「何の科学的根拠もなく、相談もなく、時の大臣が決めた」-。東京電力福島第1原発事故後に国が除染の長期目標に掲げた「年間1ミリシーベルト以下」をめぐる“失言”。衆院予算委員会などで取り上げられ、大きな波紋を広げた。丸川氏は結局、「事実と異なっていた」として発言をすべて撤回したが、その真意はどこにあったのだろうか。(原子力取材班)

■細野氏と“新旧大臣対決”
発端は、2月7日に長野県松本市で開かれた自民党参院議員の「新春の集い」。特別講演の講師として招かれた丸川氏が、講演の中で冒頭の発言をしたとして、翌8日、地元の信濃毎日新聞が報じた。

直後に報道陣の取材に応じた丸川氏は、「そういう言い回しはしなかったと思う」と発言について否定。さらに、9日には衆院予算委員会で民主党の議員から追及されたものの、「この言い回しはしていない」と明確に否定した。

10日の予算委では、「1ミリシーベルト」を長期目標に掲げた当時の環境相で、民主党の細野豪志議員が講演の詳細な発言記録を手元に質問に立ち、“新旧大臣対決”の構図で丸川氏を追及した。「『何の根拠もない』とは、それこそ何を根拠に言っているのか」「明確に撤回していただいたほうがいい。福島の皆さんも納得しないと思う」などと発言の撤回を求めたが、丸川氏は応じなかった。

■わずか8時間で一転、発言撤回
事態が急展開したのは、12日。この日午前に環境省で開かれた閣議後会見で、「私の発言で1ミリシーベルトという長期目標を軽視しているかのような誤解を招いたとすれば、福島をはじめ被災者の皆様に誠に申し訳なく、心からおわび申し上げたい」と冒頭で陳謝した丸川氏。ところが、発言の真偽については全く触れず、記者の質問が集中した。

「発言の撤回はしないのか」「明らかに間違いではないか」-。次々と浴びせられる質問に、「誤解を招いたのなら、申し訳ない」と繰り返していた丸川氏の表情に一瞬、変化が見えたのは、福島の被災者の受け止めに関する質問だった。

「『誤解をされたら』という表現は、地元からすると、責任を自分たちに押しつけていると感じるのではないか」。問いかけに、丸川氏は少し苦しい表情を浮かべると「…根拠がないという言い方は、間違った言い方だったろうと思う」と漏らし、失言を認めた。

その夜、環境省で急遽、丸川氏の囲み取材が行われることになった。その場で丸川氏は「(講演での発言は)事実と異なっていた。当日の福島に関する発言を、すべて撤回する」と表明した。

朝の会見から8時間たらずで一転、発言の撤回を決意した理由について聞かれると、マスコミの取材メモなどから発言の詳細について確認が取れたとするとともに、「福島との信頼関係を維持していく上で撤回すべきと判断した」と述べた。

■「1ミリ」数字の意味は
そもそも「追加被曝線量1ミリシーベルト以下」という長期目標はどのように設定されたのか。

国際放射線防護委員会(ICRP)では、被曝の状況を「緊急時」「現存」「計画」の3つのタイプに分類している。その上で、事故から復旧する際の「目安」として被曝線量の範囲を示し、その中で、状況に応じて適切な「参考レベル」を設定して住民の安全確保に活用することを提言している。

例えば、事故直後の「緊急時」なら「年間20~100ミリ」、復興期の長期被曝を含む「現存」なら「年間1~20ミリ」、平常時の「計画」なら「1ミリ以下」といった具合だ。

福島第1原発事故後、除染の目標について議論していた環境省の環境回復検討会では、このICRPの「年間1~20ミリ」の参考レベルの中で、「5ミリシーベルト以下」を基準とする案もあった。

ところが「住民の強い要望があった」(細野元環境相)として、長期目標として最も厳しい1ミリシーベルト以下に設定された。こうした経緯に照らせば、丸川氏の「根拠もなく」「相談もなく」という表現は、適切ではないだろう。

ところで、この「参考レベル」には、次のようなただし書きもある。「すべての住民の被曝線量が参考レベルを直ちに下回らなければならないものではなく、対策を講じて漸進的に下げていくためのもので、被曝の“限度”や、“安全”と“危険”の境界を意味するものでは決してない」。事故から5年が経過しようとする今、数字の「意味」はどれくらい正確に理解されているだろうか。

■復興の停滞は許されない
国際的な合意に基づく「科学的」知見によれば、年間100ミリシーベルト以下の低線量被曝による発がんリスクを証明するのは極めて難しいとされている。その中で、政府が採用してきた「最も安全側に立った基準」の数字が本来の目的とは別のところで独り歩きし、福島の復興の高いハードルになっているという側面もある。

「科学的根拠がない」とした丸川氏の発言が、そうした認識に基づくものなのか、民主党を批判したかっただけなのか、真意は不明だが、いずれにせよ批判は免れない。実際に今、原発事故の影響で避難を余儀なくされている人や、自分や家族の健康に不安を抱いて生活している人たちのことが少しでも頭に浮かべば、到底口にすることのできない言葉だからだ。住民の帰還を目指す除染の旗振り役となれば、なおさらだろう。

「根拠のある」目標を設定し、現実的な道筋を示す。環境省に求められている仕事は、一時の停滞も許されないはずだ。

「1ミリシーベルトは根拠なし」発言を撤回し、釈明する丸川珠代環境相
=2月12日夜、東京都千代田区霞が関

命奪うのは放射線ではない 10万人検査の医師が報告した真のリスクとは

(放射線によるリスクは、相当の線量でない限り「ただちに影響はない」わけで、それをもって「命奪うのは放射線ではない」と断言はできないはずです。また、ベビースキャンのほうが、一般のホールボディカウンターよりも検出限界が低いにしても、安全を強調することなく、できるだけ被ばくを低減するようアドバイスをお願いしたいです。 子ども全国ネット)


2016年2月19日 産経新聞
http://www.sankei.com/affairs/news/160219/afr1602190042-n1.html

小さな診察室に穏やかな空気が流れた。
「大丈夫。今の生活で食べているものは、何も問題ありませんよ」

子供が被曝していないか不安そうな母親をなだめるように、医師の坪倉正治さん(34)は言葉をかけた。「ありがとう」。女の子がはにかむと、坪倉医師は185センチの長身をかがめて「どういたしまして」とほほ笑んだ。

東京電力福島第1原発から北に約23キロ離れた福島県南相馬市立総合病院。坪倉さんは東大医科学研究所に研究員として籍を置きながら、週の半分をここで過ごす。毎週火曜日の午後は、乳幼児専用のホールボディーカウンター(WBC)「BABY SCAN(ベビースキャン)」を使い、6歳以下の児童の内部被曝量を測定している。体外から放射線を浴びる外部被曝に対し、飲食物から被曝する内部被曝は、健康への影響がより大きい。

この日、長女(5)の検診で訪れた女性(36)は、平成23年3月の東京電力福島第1原発事故で、まだ生後3カ月だった長女とともに県外へ避難し、2年ほど前に南相馬市の実家に戻った。

「子供に内部被曝の検査を受けさせていないことが、ずっと心に引っかかっていた」。結果を聞き、「ほっとした。2人目も安心して育てられる」。間もなく生まれる新しい命に語りかけるように、大きくなったおなかをさすった。

■   ■ 

坪倉さんが南相馬市に入ったのは、原発事故から約1カ月後の23年4月。これまでに南相馬市と周辺自治体の延べ10万人以上の内部被曝検査に携わってきた。

また、南相馬市が事故後、全市民を対象に希望者に配布したガラスバッジ(個人線量計)のデータ延べ約5万人分の解析も進めるなど、現場の医師としては唯一、「内部」と「外部」の両方から住民への影響を調査し続けている。

23年9月から24年3月までのおよそ半年間では、被験者の35%で放射性セシウムが検出されたが、翌年の夏は10%以下、26年以降は5%以下で推移している。

26年から県内3カ所で導入したベビースキャンは通常のWBCの5~6倍の検出能力を持つ。これまでに4千人以上を検査したが、放射性セシウムが検出された児童は1人もいない。

にもかかわらず、検査と同時に実施したアンケートでは、福島県産の野菜やコメ、水道水を避ける親の割合が約6割に上った。「通常の食生活で内部被曝することはない」。坪倉さんは“安全性”を発信する必要性を感じ、これまでに県内の小学校などで100回以上の講演を重ねてきた。


■   ■ 

原発事故は福島の社会を大きく変化させた。避難で長時間の移動に耐えられず亡くなった高齢者、身体の異変を感じても受診せず末期がんになった女性、脳卒中でたびたび入院する除染作業員…。住民は健康を害し、「弱者」があぶり出された。坪倉さんはこうした実態を目の当たりにしてきた。

データも坪倉さんの見てきた現実を裏付ける。原発事故後、南相馬市立総合病院では脳卒中で入院する患者が倍増した。糖尿病や高脂血症などの生活習慣病が事故後に増加していたことも分かり、避難した人の方が避難しなかった人よりも病気の悪化率が大きいという結果も出ている。

「住民の命を奪っているのは放射線ではない。放射線をリスクの1つとしてとらえながら、本当に命を守りたければ、社会全体の問題として本気で取り組んでいかないといけない」。坪倉さんはそう訴えた。

原発事故から5年近くがたつが、放射線への不安はなかなか消えない。被曝リスクの実態はどこまで分かっているのか報告する。

【用語解説「放射線被曝」】 人体が放射線を浴びることで、影響の大きさは実効線量(単位はシーベルト)で表される。放射線医学総合研究所によると、年間では宇宙からも大地からもそれぞれ0・3ミリシーベルトほど被曝するほか、食事からも約1ミリシーベルトを摂取している。自然の放射線による被曝の積算線量は年間で2・1ミリシーベルト(日本平均)になる。ほかにも、胸のエックス線検査は1回0・06ミリシーベルト、東京-ニューヨーク間を航空機で往復すると0・19ミリシーベルトを浴びる。

2016/02/25

3・11後のサイエンス 5年経て考える測定の意義


2016年2月25日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160225/ddm/016/070/024000c

今月8日、福島県立福島高校3年の小野寺悠(はるか)さんと東京大理学部の早野龍五教授が日本外国特派員協会で記者会見した。テーマは個人線量計「D− シャトル」を使ったプロジェクトの成果。英専門誌「放射線防護」に掲載された論文には高校生を中心に共著者233人が名を連ねる。

「他の地域と比べて被ばく線量が高いのかを知りたい」。小野寺さんら福島高校の生徒が考えたことをきっかけに、県内外の12高校131人、フランス、ベラルーシ、ポーランドから85人の計216人が2014年の2週間、D−シャトルを身につけて生活した。

ここからわかったのは、線量の中央値やばらつき方はほとんど変わらないということだ。放射性セシウムによる土壌汚染はあるのになぜかといえば自然放射能 が低いため。「客観的な事実に基づいてリスクを評価する重要性がわかった」。英語でしっかり受け答えする小野寺さんの言葉に福島市民としての思いを感じ る。

「最初は内部被ばくに注目していた」。プロジェクトを支援した早野さんがこの5年を振り返る。本職は反物質の実験物理学者だが、人々の不安に応えようと 行動を起こしてきた。ホールボディーカウンター(WBC)による3万人以上の内部被ばくの測定に協力し13年に英文論文に発表。12年秋には福島県三春町 の小中学生全員を対象にしたWBC測定で検出限界を上回る子どもがいないことを示した。給食のセシウムも測ってきた。検出限界が通常の5分の1〜6分の1 の乳幼児用WBC「ベビースキャン」を開発。15年春までに延べ2700人以上を調べ、検出限界以上の被ばくがないことも示した。

さらに「何を食べたか」を聞いて対応できるWBCと違って、行動と線量を結びつけにくい外部被ばくにも注目。1時間ごとの積算線量が読み出せるD−シャ トルの利用を後押ししてきた。数値が高ければ「この時どこにいた?」と聞くことで対話ができる。高校生のプロジェクトでも生活圏のどこで線量が高いかがわ かった。

こうした調査から、普通に生活している限り「内部被ばくは無視できる。外部被ばくも自然放射能を含め年1ミリシーベルト内外の人が多いことがわかった」 と早野さんはいう。ただ、はっきりしないのは放射性ヨウ素による初期被ばくで、当時、きちんと測定しなかったことの弊害は今も尾を引く。

とにかく測定し、公表すること。早野さんが実践してきたことの重要性は今後も変わらない。
(専門編集委員)

小野寺悠さん(左)と早野龍五・東京大教授=2016年2月8日、青野由利撮影 

孤独分かち合う父親 震災避難者 神戸で交流会

2016年2月25日 神戸新聞NEXT
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201602/0008835926.shtml

東日本大震災の発生から間もなく5年。東北や関東から関西に避難した父親が、酒を酌み交わしながら新天地での悩みを語り合う場が広がっている。母親同士の交流は盛んだったが、父親同士が支え合う取り組みはまれだった。支援者は「孤立しがちな父親のケアにも目を向ける必要がある」と話す。

今月6日夜。神戸市長田区であった「chi-chi cafe(チチカフェ)」。避難者の夫婦や近所の人ら約30人が集まった。

東日本大震災を機に、神戸などに移住した被災男性らが語り合う「chi-chi cafe」
=神戸市長田区庄田町3、R3

「名谷、伊川谷、押部谷。神戸って谷が多いね」

「淡路で見つけたキャンプ場、子連れで使いやすそう。夏にみんなで行きませんか」

兵庫県産野菜などで作った料理を楽しみ、ビールを飲みながら何でもない会話で盛り上がる。昨年12月に始まり、毎月1回開く。同様の取り組みは京都市や茨城県にもある。

避難者の母親らでつくる神戸のグループ「さとのわ」を通じ、父親らに呼びかけたのは介護施設職員佐藤正彰さん(42)=神戸市北区。もともと東京都墨田区に家族と住んでいたが、2011年3月の福島第1原発事故を受け、妻と2人の子が神戸へ転居した。

佐藤さんは東京でリース業の経営を続け、休日に神戸へ通った。しかし、男性にはまれな甲状腺の病気「橋本病」を発症するなど体調に不安が募り、妻一人での子育ても限界に。13年夏、会社を人に任せて移住した。

「被災地でもないのになぜ避難するの」。友人の理解はほとんど得られず、疎遠になった。孤独感の中で、会の発足を思い立った。

カフェにはいろんな境遇の人が集まる。「がれきの中で子どもを育てられない」と宮城県気仙沼市から家族3人で神戸市長田区に転居した漁師(44)。東京でファッション雑誌の編集をしていた男性(45)は、先に兵庫に避難していた家族を追い掛け、今は三木市で農業に励む。

生活を一から立て直す難しさ、郷里に帰ることをあきらめたという自責の念。多くの言葉を交わさずとも分かり合える。「愚痴になりそうな気持ちを抑え、移住先でどう楽しく暮らすか、前向きな交流をしていきたい」と佐藤さん。漁師は「誰もが日常を取り戻したい。それだけなんよ」とつぶやいた。

次回は3月5日午後5時半から、神戸市長田区庄田町3のカフェr3(アールサン)で。
佐藤さんmonnkichi777@gmail.com  
(長嶺麻子)

【男性への支援乏しく】
原発事故で遠方に避難した妻子と離れ、仕事のために福島や関東に残った父親たち。彼らへの支援は乏しい。

福島県から県外への避難者は4万3270人(1月14日時点)。ただ、福島県は母子避難の世帯数を把握しておらず、「孤立感を深める父親に対する支援の必要性は認識しているが、実態が分からない」(同県避難者支援課)のが現状だ。

NPO法人ビーンズふくしまは2013年末から毎月1回、福島市内で「パパカフェ」を開催。県外の母子避難者を支援する中で、「福島に残ったお父さんが心配」という声が目立ったからという。

同法人の中鉢博之さんは「同じ境遇の父親が酒を飲みながら話すだけで安心できる。5年が迫り、ストレスは限界に来ている」と話す。

一方、仕事を辞め、避難した家族と同居の道を選ぶ男性も増えている。そのため、福島県は16年度、全国20カ所に県外避難者向けの相談窓口を初めて開設することを決めた。担当者は「福島に戻ってもらいたい気持ちはあるが、放射能に対する考え方は多様。移住を選んだとしても、避難者の暮らし再建を支える立場でサポートしていきたい」と話す。(木村信行)

避難者居住先の把握、半数強だけ 被災支援の東京9市区社協

2016年2月25日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016022501001720.html

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の避難者への支援事業をしている東京都内14市区の社会福祉協議会のうち、千代田区など9市区の社協が、管内の避難者の居住先を半数強しか把握できていないことが25日、関係者への取材で分かった。個人情報保護を理由に、自治体から避難者名簿を提供されていないのが主な原因。社協は「必要な支援が行き届かない恐れがある」としている。

東京都社会福祉協議会(東社協)は2011年度から都の補助で「避難者の孤立化防止事業」を実施。東社協から受託した市区社協の職員らが、生活状況を見守る戸別訪問や交流サロン運営に当たる。

栃木県那須町の放射能市民計測所「那須希望の砦」より 栃木の子どもの未来のため!放射線を測定する機械を購入します!

クラウドファンディングREADYFOR
https://readyfor.jp/projects/nasutoride

このプロジェクトは4月22日(金)午後11:00までに、
700,000円以上集まった場合に成立となります。

放射能の不安を少しでも取り除くために!放射線量を測定し、濃度の高い地点の広域マップを作成するため、新しい放射線量測定器を購入します!

栃木県那須町の放射能市民計測所「那須希望の砦」代表の竹原と申します。福島原発事故の後、住民は放射能についての知識がなく、どの程度放射能で汚染されたかわからないまま、不安な思いで過ごしていました。放射能で汚染された栃木県北で、「放射能から子どもを守ろう」と、2011年5月に那須希望の砦は発足しました。若い方から高齢者まで。農家や主婦、リタイヤされた方など多様な87名の会員と活動しています。

共通しているのは、「放射能から子どもを守る」こと、そのためにできることをやろうと皆無償ボランティアとして活動しています。多くの方に放射能を測ってもらいたいとの思いから、昨年より、計測所では食品などの放射能計測を無料で行っています。今後、広域でのホットスポットの調査のため、計測時間が早く、データをその場でマップ上に記録できる機能を持った測定器を新たに購入します。

しかし、新しい放射線量測定器を購入するための費用の1部が不足しています。目に見えない放射能への不安を少しでもなくすため、ご協力いただけないでしょうか。


栃木県北の多くは、放射線管理区域に相当する放射能レベルに汚染されています。

原発事故直後は、放射能の知識もなく、計測器も何もありませんでした。見えない不安の中、勉強会を開き、放射能が人体にどのように影響を及ぼすのか、放射能の測定方法など基礎的な知識を学びました。皆さまの寄付により購入した、物質や空気中の放射線量を計測できる機器を使用し、食品や土などの放射能濃度の計測、通学路などの放射線量を測定し、マップを作るなど、放射能対策に取り組んできました。
(新しい測定器を使い、より広範囲のマップで線量を公開しています)
事故から5年近くが経過し、放射能に対する関心が薄れてきていますが、栃木県北の多くが、放射線管理区域に相当する放射能レベルに汚染されています。これからの放射能の減衰には時間がかかり、残念なことにこの放射線管理区域に相当する状態が5年、10年、20年と続きます。

見えない不安を少しでも和らげるため、子どもたちの生活圏の空間線量を測定し、マップ上に公開し、地域の方に線量の高い場所がわかるように情報を提供し、フォローアップ除染につなげるようにと考えています。現在使用している、ベラルーシ製のガイガーカウンターでは、測定精度を上げるため1測定に5~10分の測定時間が必要です。測定に時間がかかり、広い地域の調査に限界があるため、新たに放射線量測定器を購入することにしました。
(放射線量測定の様子)

栃木県北で除染作業が進んでいるのは一部で、子ども達の生活範囲でも、放射線量の高い場所は残っています。

購入する放射線量測定器は、日本遮蔽技研のホットスポットファインダー(HSF)です。現在使用しているものよりも、超高感度で応答速度が速いので、1秒毎の空間線量率が計測できます。歩きながら測定でき、GPS と連動してマップ上に自動で記録してくれます。マップを作ろうとしている私たちの活動には必要不可欠です。

公共施設や住宅などの除染が進んでいますが、除染できた面積は栃木県北の一部です。今後の放射能対策として大事なのは、子どもたちが生活する場所で放射能の高い所が存在しないかです。放射能は目に見えません。専用の機械を使用して放射線量を測る以外に方法はありません。
(お子様が通る通学路の線量測定結果)

今自分たちが出来ることで、栃木北の子ども達を守っていきたい

低線量の放射能が人体に与える影響は、現在わかっていないというのが事実です。安全とも言えないし、影響が出るとも言えません。しかし、1986年に原発事故が起きたチェルノブイリの子どもたちの状況は、健康な状態とは言えません。何十年後かに人体への影響度合いはわかるものと思われますが、それを待っていては遅すぎます。少しでも子どもたちの放射線被ばくを少なくするように、今できる事を全力で尽くすのが、大人の責任だと思っています。

放射能の汚染実態は公表されていません。子どもたちの将来の健康に不安を感じずにはいられません。計測した情報は、HPや「那須希望の砦」情報誌、関係自治体・教育関係者、報道機関への報告などにより発信していきます。どこが安全で、どこが危ないかを伝えることで、放射能から栃木県北の子どもたちを守っていく。そのために皆様のご協力をお願い致します。

(子ども達の未来のために、自分にできることをやっていきたい)

リターン、申し込みについてはリンク先をご覧下さい。

<中間貯蔵>除染廃棄物1年で3.7万立方m/福島

2016年2月25日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201602/20160225_63044.html

東京電力福島第1原発事故に伴う除染廃棄物を収容する中間貯蔵施設(福島県大熊町、双葉町)への試験輸送開始から1年となるのを前に、環境省は24日、施設内の一時保管場を報道陣に公開した。

中間貯蔵施設の本格工事が始まるまで除染廃棄物を保管する施設で、両町の計9万平方メートルに約5万立方メートルを収容できる。

この日は、積み重ねた除染廃棄物の袋に遮水シートをかぶせる作業や、袋をクレーンを使って積
み上げる作業などが公開された。

試験輸送は昨年3月に大熊町を皮切りに開始。これまで中島村を除く県内42市町村で搬入作業を行い、17日現在で約3万7000立方メートルの廃棄物を搬入した。3月の試験輸送完了を目指している。

新年度に本格輸送を始め、本年度の3倍近い15万立方メートルを、今後整備する一時保管場に搬入する計画。環境省福島環境再生本部の小沢晴司副本部長は「一年を通じ、安全な試験輸送ができた。課題を整理し、より多くの量を運べるように努力したい」と話した。

一時保管場で、クレーンを使って除染廃棄物が入った袋を積み重ねる作業が行われた
=福島県大熊町夫沢の大熊東工業団地


2016/02/24

避難者に寄り添う 会津木綿の内職通じ孤立防ぐ

2016年2月24日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160224/ddl/k36/040/630000c 

首元を飾るのは、しま柄が特徴的な会津木綿のストール。「肌にどんどんなじむ。愚直でまじめな素材だ」。少し窮屈そうに巻いた大柄の谷津(やづ)拓郎(29)は手に持った赤や緑の鮮やかな生地をいとおしそうに見つめた。

ストールは東京電力福島第1原発事故の避難者の手作り。谷津は会津木綿を使った商品を通じ避難者に寄り添い、孤立しそうな人々を支えてきた。

福島県会津坂下(ばんげ)町で、谷津は生まれ育った。高校生のころ、シャッター通りになった地元商店街を見て「言いようのない寂しさを感じた」のが、地域活性化に興味を抱いた原点だ。

早稲田大大学院で地域おこしの取り組みを研究、街づくりNPO法人に就職するため故郷に戻って東日本大震災に遭う。

炊き出しなどのボランティアに取り組んでいるとき、仮設住宅に暮らす避難者の言葉に衝撃を受けた。「何もすることがないのがつらい」

■仕事してもらえたら
「このままでいいのか」。谷津の頭に浮かんだのは、廃れつつある郷土の伝統工芸、会津木綿だった。「地元の伝統素材を使って、仕事をしてもらえたら」

内職を10人ほど募り、2011年末から会津木綿の製品作りを開始した。当初はミシンを使いハンカチやクッションを作ったが、慣れない作業に戸惑う人も。「特別な技術や機械は使わず誰でも作れるものを」と考案したのが、今では主力商品として全国販売しているストールだ。

谷津は個人で始めたこのプロジェクトを「IIE」と名付けた。大震災の発生日「3・11」を逆さまにしたイメージで「イー」と読ませる。

「大震災をひっくり返し復興していくという思いを、さりげなく伝える」ことを狙った。震災から2年後、谷津はこの名を社名にした株式会社を立ち上げる。起業したときは「目の前の状況を何とかできないか」と考えただけだった。「被災者支援」をあえて前面に出さず、品質で勝負する姿勢を貫いてきた。会社化によって「お客のために価値を出し続ける」という責任がより重くなった。

■「作業に助けられた」
生地の端近くの横糸を1本ずつ丁寧にほぐして取り、残った縦糸をいくつかの束にまとめ飾りにする。ストール作りは地道な作業だ。3年以上にわたって作り手を務める広嶋めぐみ(41)の指先は休むことを知らない。

福島第1原発から数キロの大熊町熊川地区に住み、ガソリンスタンドに勤務していた。震災直後は消防団員として津波の不明者捜索に当たった夫と離れ、小学生と幼稚園児だった2人の息子を連れ新潟県に避難。その後会津に移り、仮設住宅暮らしは3年以上に及んだ。

「友達も散り散りになり、家にこもるだけの日々。作業に集中すると余計なことを考えない。助けられた」と振り返る。

震災から5年を迎えるが、多くの作り手の出身地・大熊町の大半は、帰還困難区域のままだ。戻れるめどは立たない。

■報酬の多寡だけでは
作り手は20~70代の女性約20人。広嶋を含む大半は仮設住宅を出て、新しい暮らしを築きつつある。収入は毎月1万~3万円ほどだが、報酬の多寡だけでこの仕事の価値は測れない。

広嶋は言う。「会津のものを自分が作り、谷津さんが外に広めてくれたら、受け入れてくれた会津への恩返しになるかな」

会津木綿は17世紀、江戸時代に生産が始まり、野良着などの素材として親しまれた。生産工場は最盛期に30社近くあった。戦後、化学繊維に押され需要も減少したことから、残るのはわずか2社だ。存続の危機にある。

谷津が振り返った。「昔は地域ごとに柄が違いアイデンティティーを競い合った」。事務所を構える会津坂下町の青木地区は、「青木木綿」と呼ばれた代表的ブランドの中心地だった。

■ブランドの再興にも
この地区の工場も約30年前までに全て廃業。会津木綿にほれ込んだ谷津はブランド再興も見据え、廃工場に放置されていた約100年前の織機を15年秋に譲り受けた。幼稚園を再利用した事務所に再び使命を得た10台の織機が並ぶ。

「会津木綿をもっと多くの人に知ってもらいたい。会津を、福島を好きになるきっかけをつくりたい」。技術指導を受けながら織機を修理し、少しずつ布地の生産にも取り組む予定だ。

谷津の仕事ぶりに「山田木綿織元」の代表、山田悦史(よしぶみ)(66)は「ストールは従来と異なった分野での商品開発だった。見たときは新鮮な驚きがあった」と期待を寄せる。

谷津はある作り手の言葉が忘れられない。「やっと日の光を浴びることができた……」。内職によって孤独から救われ生きがいができたことへの感謝だ。避難者の苦しみを少しでも軽くしたいと思うと勇気が湧いてくる。(敬称略)

避難生活の苦悩、文集に 県内30人 明日は我が身…風化させぬ /愛媛

2016年2月24日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160224/ddl/k38/040/689000c

東日本大震災から5年になるのを前に、県内に避難した約30人による文集が出版される。古里を離れる決断をした日のこと。この5年近くの暮らしの苦し さ。政府や東京電力への怒り……。23日、支援者らが集まり、題を「人の痛み この震災を転換点に」に決めた。【黒川優】

編集したのは「県内被災者連絡会」。代表の渡部寛志さん(37)ら、福島や宮城などから県内に避難中の約35世帯と、かつて避難していた約15世帯がメンバーだ。松山市の石手寺に事務局を置く。

文集のゲラ刷りを広げる加藤住職(右)や支援者たち=松山市で 

「(福島第1原発事故を見て)『明日は我が身』とはどうしても思えないものなのだろう。私もそうだった。しかし、『他人事』としてではなく『我が事』と して考える努力だけでもしてほしい」。福島県南相馬市で被災し、現在は伊予市でミカン農家をしている渡部さんは、こうつづった。

「一週間ぶりに入ったお風呂の中で声を出して泣きました。『ごめんね私だけ逃げて、私だけお風呂に入って、私だけおいしい食事をして……』。ビールを飲 んでいる主人がなぜか許せないように思えて、ケンカをした」「環境の違う場所での生活は私たちにとって負担が大きく、故郷への思いが強くなり『どこで苦労 するのも一緒!!』という思いで1年後に気仙沼に戻りました」。他にも、経験者でしか語れない思いが並ぶ。

文集は約200ページ。ベースになったのは、石手寺の加藤俊生住職が、震災1年などの節目に避難者に実施したカウンセリング記録や手記。メンバーらはこ れを基に当時の記憶をたどった。執筆者の一人で松山市末町の主婦、沢上幸子さん(40)は「当時の記憶を風化させずにまとめることができた。次にどこかで 災害が起きたときに、被災者の心のケアにも使えたら」と話した。

出版元は創風社出版(松山市)。3月11日に発行する。被災地にも寄贈したい考えだ。
問い合わせは石手寺(089・977・0870)。

丸川氏「除染の目標、何の根拠もなく決めた」 これが環境相の発言か


2016年2月24日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160224/dde/012/010/052000c

言葉は時に人を傷つける刃物になる−−。丸川珠代環境相が、東京電力福島第1原発事故後に定めた除染などの長期目標を「『わーわーわーわー』騒いだ中 で、何の科学的根拠もなく決めた」などと述べた時、その言葉が頭に浮かんだ。5年前の原発事故で約10万人が今もなお古里に帰れない現実が、この人の目に は映らないのか。【葛西大博、小国綾子】

「その認識自体がアウト」「同じこと、福島で言えるか」

「まさに環境相にとって最も重要なテーマが放射性物質の除染。その除染の長期目標の数値が、どういう経緯で、どういう根拠に基づいているかを十分に認識 しないままで環境相が務まるはずがない。丸川氏の発言は、失言の類いではなくて、その認識自体がアウトなのです」

こう話すのは、原発事故当時、官房長官だった民主党の枝野幸男幹事長。17日の記者会見で「丸川発言」の問題点について尋ねると、「大臣失格」と烙印(らくいん)を押す答えが返ってきた。

発言要旨を基に問題点を考えてみたい。まず、除染の目標数値を「何の科学的根拠もなく、時の環境大臣が決めた」との部分。民主党政権が、自然放射線など を除いた通常時の年間被ばく線量を1ミリシーベルト以下にすることを長期目標として除染などを進めると決めたことに、丸川氏はかみついたのだ。

この「1ミリシーベルト以下」という基準の根拠とは何か。国際放射線防護委員会(ICRP)は、放射性物質の影響が残る状況下での年間被ばく線量の目標 について「1〜20ミリシーベルトを許容範囲」と勧告している。この範囲のうち最も低い値を民主党政権は除染の基準としたのだ。現在の自民党政権も変えて いない。つまり荒唐無稽(むけい)な数値ではない。

原発の危険性を40年以上にわたって指摘してきた元京都大原子炉実験所助教の小出裕章さんの話を聞こう。「被ばくはどんなに微量でも危険が伴うというの が現在の学問の定説で、できる限り低い方がいい。ICRPの勧告に従い、放射性物質汚染対処特措法に定めたわけです。日本が法治国家ならばその被ばくの限度を守ることは当たり前です」。環境相の発言だったことについては「環境省は被ばくを低減させることに全力を傾ける責任がある役所。それなのに困った人で す」と、あきれるのだ。

「丸川発言」を受けて、福島の人々の心境はやるせなさと怒りが交錯している。「地元の住民を動揺させるような不適切な発言はしないでほしい、という思いでいっぱい」と、南相馬市の桜井勝延市長は切り出した。

「その『1ミリシーベルト』という基準のために我々はこの5年間、どれだけ振り回されてきたか分からないのに……」という言葉に徒労感がにじむ。「文部 科学省が2011年5月、学校の敷地についても『年間1ミリシーベルト以下を目指す』という方針を突然打ち出したことで、我々現場は大混乱しました。それ でも地元は国が決めた基準を信じて、除染を進め、それを達成してきたんです。それなのに不適切な発言で住民同士の不要な感情的対立をあおるようなことはし ないでほしい」。古里に帰れるのか、否か−−。除染の長期目標の一つを取っても、被災地にはさまざまな意見があり、揺れていることを踏まえた発言だ。

また、長野県松本市の講演での発言だったことにも触れ、「同じことを福島で言えますか? 現場に来て、現場で見て、現場で発言してほしい。そうすれば軽率な発言はできなかったろう」と語る。

「根拠がない」との部分を問題視するのは、福島4区選出の小熊慎司衆院議員(改革結集の会)。「除染でも、食品の安全検査でも数字を基に『大丈夫だ』と 確認しながら進めているのに、その数字に根拠がないとされたら信頼性がなくなってしまう。うかつな発言では済まされません。県民は怒っている」と厳しく批 判する。

発言撤回まで時間がかかったことにも小熊氏は憤りを隠さない。丸川氏は7日の講演後、衆院予算委員会で、事故当時の環境相だった民主党の細野豪志政調会 長らに何度も追及されたが、発言を撤回はしなかった。「福島に関連する発言は全て撤回したい」と表明したのは、12日午後6時過ぎに環境省で緊急記者会見 を開いた時だった。

小熊氏は10日の衆院予算委で丸川氏の発言を追及した際、「(発言の)記録を取っていないので、私自身一言一句正確に把握していない」と発言を撤回しな かったことを念頭にこう語る。「撤回が遅かったことで福島のネガティブな情報が発信され続けた。福島県民を傷つけたのに発言のおわびだけで、時間がかかっ たことには謝っていない」

「丸川発言」を聞いた作家の落合恵子さんは、南相馬市在住の詩人、若松丈太郎さんの詩「ほんのわずかばかりの」の一節が思い浮かんだという。

<劣化ウラン弾で白血症になった少女の宙をさまよう視線の先にもほんのわずかばかりの想像力を><ほんのわずかばかりの想像力が変えることのできるものがあるのではないかと>

「どうして政治家は『ほんのわずかばかりの想像力』すら持ち合わせていないのでしょうか」と落合さん。「東日本大震災からこの5年間にお会いした福島の 方々、そして自宅に戻れずにいる方々のお顔、いただいた数々の手紙やファクスを思い出しました」。あの人が、この人が、丸川氏の発言を聞いてどんな思いを したろう……と。

とりわけ許せないのは「反放射能派」というレッテル貼り。「この呼称の中に、揶揄(やゆ)する響きはないでしょうか。うるさいやつらが『わーわー』やっ ている、というような。でも市民の一人一人が意見を表明する権利を持っています。自分と意見が違う人がいたとしても。いいえ、違う意見だからこそ、立ち止 まり、真摯(しんし)に人々の声に耳を傾けることこそが、政治家の基本的な使命ではありませんか」と落合さんは言葉に力を込める。

落合さんの言葉を聞いて思い出したことがある。丸川氏が、野党時代に「女ヤジ将軍」(テレビ局関係者)として注目を集めたことだ。とりわけ記憶に残って いるのが、10年3月の参院厚生労働委員会での子ども手当法案強行採決の際に、委員長に向かって「愚か者めが」と叫んだヤジだ。その後、「この愚か者め が」と書かれたTシャツを自民党が販売するなど、話題を呼んだ。「愚か者」と切り捨てる態度や、「反放射能派」というレッテル貼りをする姿勢に、自分と意 見の違う人の声に耳を傾けるという政治家の基本的な使命を感じられるだろうか。

丸川氏は「福島をはじめ、被災者に心からおわびしたい」などと述べ、発言は撤回した。だが、これによって自らの言葉で傷つけた被災者の心が癒え、怒りが収まるとは思えない。環境相として本当にふさわしい人物なのかは、これからも問われ続ける。

報道陣の前で「福島の皆さんと信頼関係を保つ上で、撤回すべきだと判断した」などと発言する丸川珠代環境相=東京都千代田区で12日、竹内幹撮影 

笹岡市 避難者の血液検査全額助成 当初予算案に12人分盛り込む/岡山

2016年2月24日 山陽新聞
http://www.sanyonews.jp/article/304934/1/

笠岡市は24日、東京電力福島第1原発事故で市内へ避難している人を対象に、血液検査費用を全額助成する制度を新設すると明らかにした。同日発表した2016年度一般会計当初予算案に、全12人分の事業費7万円を盛り込んだ。

罹災(りさい)証明書か被災証明書を持ち、同市の避難台帳に登録している33人のうち、18歳未満の12人が対象。希望者は市に申請すると受診券を交付され、医療機関で無料で検査が受けられる。検査では白血球数などを調べ、甲状腺異常がないかの判断材料にする。

1人年1回、最大5回まで。医療機関は原則、同市民病院に限る方向で調整している。市は「市営住宅の無料貸与、保育料免除といった他の支援策と合わせ、避難者の健康や生活に対する心理的、金銭的な負担感を和らげたい」としている。

昨年開いた市と避難者との懇談会で要望があった。市によると、福島県は同様の制度を設けているが、全国的には珍しく、岡山県内では初という。

炉心溶融の判定基準発見 東電、3日後に公表可能だった

2016年2月24日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJ2S5QNYJ2SULBJ00S.html

東京電力は24日、福島第一原発事故当時の社内マニュアルに、核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)を判定する基準が明記されていたが、その存在に5年間気付かなかったと発表し、謝罪した。東電は事故から2カ月後の2011年5月まで炉心溶融を公表しなかったが、基準に従えば3日後の3月14日には1、3号機について判定できていたという。

事故では1~3号機で炉心が溶融して大量の放射性物質が漏れた。公開された当時の社内テレビ会議のやりとりなどから、東電幹部らが当初から炉心溶融の可能性を認識していたことが分かっているが、東電は5月に炉心溶融を正式に認めるまで、会見などでは「炉心溶融」を使わず、核燃料が傷つく状態を意味する「炉心損傷」と説明していた。

東電によると、判定基準は、事故対応の方針を定めた10年4月改訂の「原子力災害対策マニュアル」の中に「炉心損傷の割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定する」と明記されていた。東電は炉心溶融の公表遅れの理由として「判断する根拠がなかった」と説明してきた。柏崎刈羽原発を抱え、原発事故の検証を続けている新潟県の技術委員会の求めで当時の経緯を調べ直すなかで、今月になって基準の記載に社員が気付いたという。

東電は事故発生から3日後の3月14日午前、格納容器内で測定された放射線量から3号機の炉心損傷割合を30%、1号機も55%と確認。2号機も15日夕に35%と分かった。いずれも5%を超えており、炉心溶融と判定・公表ができたとしている。当時は、この基準があることに気付いていなかったという。2年前にマニュアルを改訂した際も見落としていた。

東電の担当者は「気付くのに5年間かかったことは誠に申し訳ない。今まで十分な調査ができていなかった点は反省している」と謝罪。今後は第三者の協力を得て、炉心溶融の判定や公表ができなかった経緯や原因を調べるという。

新潟県の泉田裕彦知事は「社内で作成したマニュアルの定義は組織的に共有されていたはずだ。事故後5年もの間、重要な事実を公表せず、技術委員会の議論に真摯(しんし)に対応してこなかったことは極めて遺憾だ。メルトダウンを隠蔽(いんぺい)した背景や、それが誰の指示であったかなどについて、今後真摯に調査し、真実を明らかにしていただきたい」とのコメントを出した。福島県の内堀雅雄知事は「11年3月14日時点で炉心溶融という重要な事象が通報されなかったことは極めて遺憾である。今後、迅速・正確な通報・連絡が徹底されるよう改めて強く求めたい」とのコメントを出した。
(西川迅)

福島第一原発の4号機(奥)と3号機(左手前)=2011年3月15日、東京電力が公表

東電、メルトダウンを過小評価 社内基準、5年間見過ごし 

2016年2月24日 47ニュース
http://this.kiji.is/75146880414007300?c=39546741839462401

東京電力は24日、福島第1原発事故当初の原子炉の状況をめぐり、極めて深刻な事態の「炉心溶融(メルトダウン)」ではなく、前段階の「炉心損傷」と説明し続けたことが誤りだったと発表した。結果的に国や関係自治体への説明でも事態を過小評価していたことになる。

当時の社内マニュアルに炉心溶融の判断基準が明記されていたものの、事故から5年間、基準があったことを見過ごしていたという。事故対応を検証している新潟県技術委員会の求めで調査を始め、今月判明した。

東電はこの日の記者会見で「基準に照らせば事故4日目の2011年3月14日の段階で炉心溶融と判断できた」と陳謝した。

2011年3月15日に撮影された、白煙を上げる福島第1原発3号機(左)。
中央奥は4号機(東京電力提供)
事故当初の原子炉の状況を「炉心溶融」ではなく「炉心損傷」と誤って説明し続けていたことについて発表する東京電力の広報担当者(左)ら=24日午後、東京都港区 

東北支援 感謝し帰郷…福島避難 県非常勤池添さん 来月離任  兵庫

2016年02月24日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/local/hyogo/news/20160223-OYTNT50307.html

東日本大震災で福島県から神戸市に避難し、兵庫県の非常勤嘱託職員として東北の被災地の支援業務を担ってきた池添麻奈さん(33)が、3月で仕事を終える。約5年間、現地へ向かうボランティアに、「自分が戻れない負い目を感じる気持ちを軽くしてくれた」と振り返る。今後は「第2のふるさと」への感謝を胸に、東北に帰って新たな人生を歩むつもりだ。(白櫨正一)

2011年3月11日、池添さんは講師として勤めていた福島県富岡町の中学校で地震に遭った。福島第一原発の事故で、翌日には同町から避難。同月末には同県南相馬市の実家にいた両親と一緒に、親類が手配した神戸市の兵庫県営住宅に移り住んだ。

同年5月、県非常勤嘱託職員に採用され、県社会福祉協議会が運営する「ひょうごボランタリープラザ」(神戸市)に出向。東北の被災状況を把握してホームページで必要な支援情報を発信し、ボランティアがより活動しやすい環境作りに努めてきた。

勤めて約1か月後。地元が気になり、職場で「帰りたい。避難して何もできないのが悔しい」とこぼした。これを聞いた上司が、池添さんと同じ境遇の避難者を集め、現地に派遣する「里帰りボランティアバス」を企画。同年7月に実現したことが何よりもうれしかった。

神戸での5年間、「将来への不安が募り、気持ちが後ろ向きになりがちだった自分を前に向かせてくれたのは、東北のために活動を続けてくれるボランティアの姿」と話す。

先月も、ボランティア活動をテーマに神戸市内で開いたフォーラムで、出席者の一人が「東北のことを忘れたらあかん。考え続けること、一緒に悩むことが大事なんや」と熱く語っていた。阪神大震災を経験した兵庫の人ならではの強い思いを感じた。

一方で、ふるさとへの思いは日に日に募った。昨秋、市内を歩いていた時、虫の声が耳に入ってくると、突然涙があふれた。頭に浮かんだのは、四季折々の自然豊かな福島の情景だった。定職に就ける年齢も考え、東北へ戻ることにした。兵庫での経験も踏まえ、教員以外の道も模索するという。

25日には市内で「被災地に心を寄せて5年」をテーマに講演する。池添さんは「お世話になった兵庫県にどのような恩返しができるか。これからじっくり考えていきたい」と語っている。


「受け入れてくれた兵庫県の皆さんには感謝の一言しかない」と語る池添さん
(18日、神戸市内で) 

福島県が避難者に意向調査――「追い出しを図るもの」

2016年02月24日 週刊金曜日編集部
http://blogos.com/article/162706/

東京電力福島第一原発事故から来月で5年が経過する中、避難指示区域外からの避難者1万3000世帯を対象に、福島県が1月下旬に配布した「住まいに関する意向調査」に対して、抗議の声が上がっている。提出期限の2月7日には東京・中野区内で「帰還・生活再建に向けた支援策に関する説明会」が、福島県避難者支援課の主催で開かれたが、「帰還」させたい行政側と「仮設住宅からの追い出しを図るもの」として抗議する避難者との溝は埋まらなかった。

同調査は、「2017年3月末で避難先における住宅の無償提供を終了する」ことを前提に、「帰還や生活再建に向けた支援策」を打ち出している。これに対し、最多の避難先である東京都内の避難者を中心とした「ひなん生活をまもる会」(鴨下祐也代表)は1月29日付で内堀雅雄県知事宛に「抗議・要請書」を送付。同調査には「『仮設住宅』の提供を当面継続して現在の住宅に住み続ける旨の選択肢がない」ことから、住宅提供の延長を求める区域外避難者の意向を無視したものだとして調査の中止を要請。内堀知事との直接交渉の場を設けるよう求めている。

100世帯超で組織する「まもる会」の鴨下代表(47歳)は「住宅提供打ち切りをめぐっては13年から反対の声を上げ続けていますが、県の職員(避難者支援課)から直接、『決まったことだから無駄なことはやめろ』と言われました。その県の調査でも避難者の要望としてダントツなのが住宅の提供です。こんな一方的なやり方では支援ではなく迫害です」と話す。

その避難者支援課に、17年3月末の提供打ち切りの根拠を聞くと、「災害救助法(での応急的な支援)は原則2年。これまで何度か延長してきましたが、これ以上は無理」(菅野健一主幹)と説明した。しかし、同法のどこにも「原則2年」の記述はなく、「2年」なのはプレハブなどの使用期限だ。
(片岡伸行・編集部、2月12日号)

避難指示区域外からの避難者に郵送された「住まいに関する意向調査」票。
(写真撮影/編集部)

県産農産物の支援を考える 福島で交流会

2016年2月24日 福島民報

https://www.minpo.jp/news/detail/2016022429106

コープふくしま主催の「ふくしま支援交流会」は23、24の両日、県内で開かれている。23日は福島市のザ・セレクトン福島で報告会を開き、県産農作物への継続支援の在り方などを話し合った。

東日本大震災から3月で5年の節目を前に、本県の現状理解を深め、今後の支援の在り方を考えようと初開催した。全国から日本生活協同組合連合会所属の組合員約140人が参加した。基調発表では宍戸義広常務理事が食品の放射性物質検査の様子を紹介した。組合員を対象に県内外で実施した外部被ばく量調査結果も示し、県内が他県よりも何倍も高いわけではないと説明した。

24日は沿岸部などを視察する。

原発避難者97人追加提訴、新潟 計807人で全国最大規模に

2016年2月24日 中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016022401001524.html

東京電力福島第1原発事故の影響で福島県から新潟県に避難した被災者が国と東電に損害賠償を求めている訴訟で、30世帯97人が24日、新潟地裁に追加提訴した。

原告弁護団によると、原告は239世帯807人、請求額は計88億7700万円となり、原発避難者の損害賠償訴訟では、原告約730人の山形地裁を上回り全国最大規模となった。原告は避難生活を強いられたことへの慰謝料として、1人当たり1100万円を求めている。

東京都/避難生活5年目の今を知る「311きらきら展示会」3月5日から

2016年2月24日 クリスチャントゥデイ
http://www.christiantoday.co.jp/articles/19388/20160224/kirakira-boshi-net.htm

東日本大震災および福島原発事故から5年目となる3月11日に合わせて、広域避難世帯の支援活動を続けるボランティア団体「きらきら星ネット」が主催する「311きらきら展示会」が3月5日(土)から21日(月)まで、ニコラ・バレ修道院(千代田区六番町14‐4)で開催される。

今年で3回目となる同展は、東京周辺では次第に忘れ去られていく5年前の2つの悲劇を、「5年たった今こそ共に生きる」のメッセージを広く発信し、避難生活5年目の今を多くの人に知ってもらうことを願って開催される。避難家族ときらきら星ネットのこれまでの歩みを写真などで紹介する。

きらきら星ネットは、震災と原発事故の影響で東京に避難してきた家族の日常生活を支えるさまざまなサポートや、彼らとの交流を行っている草の根のボランティア団体。主に放射能被ばくから逃れるために、故郷を離れて厳しい避難生活を余儀なくされている母子を中心に支援を続けている。

毎日午前9時から午後6時まで(最終日は午後4時まで)、ニコラ・バレ修道院1階ロビー・廊下の壁面で開催。入場無料。
詳細は、きらきら星ネット(電話:03・6428・6655、メール:kirakiraboshinet@gmail.com)。
なお電話受付は、平日の午前11時から午後5時までとなっている。


■3.11子ども全国ネット地域(東京)ミーティングのご案内 「もう5年? まだ5年? 今だから観たい Short movies!」

「もう5年? まだ5年? 
今だから観たいShort movies!」
〜 観て 話して ここから始める 〜

5回目の3.11に、私たちの立っている、ここから始めるために東京で集まる。
この日のために用意したのは、
OurPlanetTVによる未公開映像や子ども全国ネットが選ぶオフレコ映像たち。
ここから始めるのは、誰? 何を? どうやって?
あなたの思いを子ども全国ネットとシェアしませんか。

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■日時:2016年3月11日(金)10:15〜15:00(10:00開場)
■会場:神保町区民館2F会議室AB(神保町ひまわり館内)
   千代田区神田神保町2-40
   水道橋駅から徒歩10分、神保町駅から徒歩5分
  https://www.city.chiyoda.lg.jp/shisetsu/kuyakusho/007.html

■定員:30名
■参加費:500円
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■プログラム:
10:15〜 あいさつ
10:30〜 Short Movies(予定一覧)
 「100人の母たち」JNNドキュメンタリー九州放送
 「つながる力 〜関西ミーティング編〜」
カノンだよりvol.4より
 「福島原発事故5年 〜置き去りにされた子どもたち〜」 OurPlanetTV提供 ほか
11:50〜 昼食休憩
12:40〜 ワールドカフェ
 「東京あるいは首都圏」「5年のいま気になること」「ここから何を」をキーワードに話そう
14:40〜 子ども全国ネットより
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■申込み:フォームよりお申込みください。
   https://goo.gl/w3uWoC
■主催・問合せ:NPO子ども全国ネット事務局 
       Mail: info@kodomozenkoku.com
TEl: 070-5372-9145


ーーーー 子ども全国ネット 地域ミーティング ーーー




主張:復興イベント中止 正しい情報で風評払拭を

(開催当日の中止というのは関係者にとっては手痛いものだっただろうが、日本の基準である100Bq/kgを下回っているからといって、その安全性が「科学的根拠に基づくもの」だとは言い切れないわけです。「恐れるなというのではない」というが、正しい知識=政府の定めた基準、とすること自体が横暴であり、事故前の数値を上まわる以上、風評などではない、実害がある、と認めるところからしか風評被害の撤廃は出発できないと思います。 子ども全国ネット)

2016.2.24 産経新聞
http://www.sankei.com/affairs/news/160224/afr1602240003-n1.html

東日本大震災からの復興や日本の魅力をPRするために、外務省が韓国のソウルで予定していたイベントが、開催当日になって中止された。

東京電力福島第1原発事故を理由とした食品の安全性への懸念から、地元自治体のソウル市城東区が開催許可を出さなかった。被災地の復興にとっても、日韓の相互理解にとっても、極めて残念なことだ。

イベントには青森、宮城、福島、鹿児島の4県などが参加し、各地の特産品の紹介などを予定していた。

韓国の市民団体からは、原発事故を理由に「食品の安全性に問題がある」と開催に抗議する声が上がっていた。城東区は「公の場所で原発事故発生地の生産物の無料配布や販売は適切ではないと判断した」という。

被災地や近隣の農林水産物をはじめ、日本の食品は徹底した検査が行われている。今回のイベント中止は、科学的根拠のない風評が、韓国で深く根付いていることを示すものだ。さらに深刻なのは、その風評を行政が追認したことである。日韓の相互理解や市民交流を妨げるものと言わざるを得ない。

韓国は現在も、原発事故を理由に福島、岩手、宮城など8県の水産物輸入を全面禁止している。日本政府は昨年8月、不当な輸入規制の撤廃を求め、世界貿易機関(WTO)に提訴した。

菅義偉官房長官がイベント中止を受けて「正確な情報発信を行い、風評被害の払拭に全力で取り組みたい」と改めて語った。当然の認識である。

韓国での風評は、反日的な国民感情とも絡んで、複雑で根深いものになっている側面もある。日本の生産者や自治体の努力だけでは、払拭は難しい。

政府が先頭に立って「日本の食品に関して、安全性への懸念は不要である」という科学的事実を発信し、日韓の共通認識にしなければならない。

風評の根が、日本国内にあることも忘れてはならない。放射性物質に対する過剰な不安は、産業の再生や住民の帰還を妨げる要因になっている。

「恐れるな」というのではない。放射線のリスクについて一人一人が正しい知識を身につけ、冷静に判断することが、風評の払拭に向けた最大の力になる。

あれから5年 忘れないで防災 県立図書館企画展( 3/13まで )/富山

2016年2月24日 中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20160224/CK2016022402000033.html

東日本大震災に関連する本を集めた企画展が二十三日、富山市茶屋町の県立図書館一階閲覧室で始まった。「東日本大震災-教訓から学ぶこと」と題して震災翌年の二〇一二年から、震災発生日の三月十一日に合わせて毎年開催している。今回は、「災害・復興・防災」と「地震・津波の科学」「原子力発電」「児童書」「過去の地震災害」「富山の地震災害」の六つに分類し、所蔵する約三百冊を並べた。

このうち、原子力発電では、東京電力福島第一原発事故を受けて、放射能汚染による健康調査をまとめた専門書「終わらない被災の時間 原発事故が福島県中通りの親子に与える影響」などを展示。児童書では、震災時の避難状況を紹介した絵本「つなみてんでんこ はしれ、上へ!」などを置いた。

企画展は三月十三日まで。本の貸し出しもしている。四日には午前十一時から別館多目的ホールで、宮城県東松島市の市教委が市民の震災体験談を収録し制作したDVDの鑑賞会を初めて実施する。申し込み不要。

主任司書の温井佳子さん(43)は「自然災害はいつ起こるか分からない。これを機に、東日本震災の教訓を学んでほしい」と話している。  (青木孝行)

県立図書館で始まった東日本大震災に関連した本の企画展=富山市茶屋町で

2016/02/23

【福島から問う】帰還 見えぬ道筋5年(中) 近づく限界集落「逆境でこそ川内変わる」

2016年2月23日 産経新聞

「では、少子高齢化と財政の問題について1人1項目ずつ調べてみようか」。福島県川内村の村立川内中学校の3年生の教室で社会科教諭の声が響く。ありふれた授業の一コマだが、生徒数は6人。教室には空きスペースが目立つ。

同校の生徒数は3学年で計13人。東日本大震災前、村内には同学年の子供たちがほかに51人いたが、今は村外で生活する。本間義和校長は「むしろ少人数教育で一人一人を手厚く指導できる」と胸を張るが、学校の現状は東京電力福島第1原発事故で加速する少子高齢化を象徴している。
がらんとした教室で社会科の授業を受ける中3の生徒たち。生徒6人に教師2人と手厚い
=9日、福島県川内村立川内中学校(市岡豊大撮影)
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村のおよそ半分が原発の20キロ圏内に入り避難指示が出され、残りのエリアも避難準備区域に指定されたため、大規模避難を余儀なくされた。平成23年9月に避難準備区域が解除され、24年1月には村役場が村民に帰還を促す「帰村宣言」を発表。26年10月には避難指示の大半も解除されたが、今年1月時点で村内で生活する村民は6割強の1756人にとどまっている。

特に若い世代が戻っていない。村民のうち、村内で暮らす割合を年代別でみると、70代が92%、80代が79%なのに対し、30代は51%▽20代は56%▽10代は30%-と低い。村内生活者で65歳以上が占める高齢化率は40・15%に上り、震災前の34%から上昇。村の存続が危ぶまれる「限界集落」の基準とされる50%にさらに近付いた。

村の痛手は、買い物、雇用などの場として頼りにしていた東隣の富岡町が全域避難を余儀なくされたことだ。震災前、村民の約250人は富岡町を中心とする原発関連企業で働き、買い物も町内のスーパーで行うのが普通だった。その富岡町は今も全域避難中。こうした状況下、若い世代の村民は避難先の郡山市や田村市などにとどまっている。

家族とともに郡山市で避難生活を送る高校3年生、佐藤香織さん(18)は4月から市内の福祉施設で働く。「既に家族全員、避難先で仕事を見つけていた。5年もたてば村に帰る選択肢はなくなる」

一方で光明も差しつつある。村は25年4月、第三セクターによる屋内野菜生産工場を立ち上げた。当初はノウハウに乏しく、昨年11月までは村の補助金頼みの赤字状態だったが、12月に黒字に転じた。

30代以下の若手パートで唯一の男性、遠藤元一さん(24)は工場の将来を背負って立つ覚悟を固めつつある。川内村で生まれ育ち、山形県の短大に進学した。公務員志望だったが、卒業後、興味のあった農業を学ぶため同県内の野菜生産加工会社に就職。1年間修業した後、村で暮らすため昨年3月に帰村した。

「不安は感じていない。むしろ逆境の中でこそ、村の農業は変えられる」

村商工会の井出茂会長は「村の将来を支えてくれる若者はとても貴重。今後、仲間が集まってくれれば村再生の原動力になり得る」と期待を込める。帰還が早かった川内村が現在直面する課題は、これから帰還が進む自治体でも無縁ではない。井出会長は言う。

「今、必要なのは単なる雇用や生活の場ではなく、仲間と働く喜びを感じられる『魅力』や『やりがい』の場ではないだろうか」

ただ、村はこうした雇用創出のための企業誘致や、小規模な商業施設をオープンさせるなどしているが、帰還の大きな流れにはつなげられていない。猪狩貢副村長は「村単独では村民の生活の全てを充足できない。都市部の便利さに慣れてしまえば、村離れは避けられない」と話した。