2016/10/07

故郷・福島、戻れるか 避難者ら制限区域視察

2016年10月07日 YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/local/ibaraki/news/20161006-OYTNT50190.html

東日本大震災と福島第一原発事故の影響で、福島県から茨城県に避難している家族らが1日、福島県浪江町などの居住制限区域と避難指示解除準備区域をバスで回り、記者も同行取材した。居住制限は来年3月に解除される見込みだが、住宅周辺からは国の除染基準(毎時0・23マイクロ・シーベルト)を大きく超える数値の空間放射線量も検出され、避難者からは「本当に戻れるのか」と不安の声が上がった。(宮下洋介)

視察ツアーは、県内の避難者支援団体「ふうあいねっと」が企画した。避難者や支援者、専門家など約30人が参加した。

常磐自動車道の浪江インターチェンジを出ると、左手に現れたのは「帰還困難区域」を示すバリケード。右折した先には「除染作業中」と書かれた黄色いのぼり旗が並ぶ。周辺の至るところで、ヘルメットをかぶった作業員が重機で表土を削る姿が見える。

到着したのは、原発事故で行き場のなくなった約300頭の牛を育てる同町立野の「希望の牧場・ふくしま」。世話を続ける吉沢正巳さん(62)は「私は勝手に住んでいる。ここは、家はあるけれど、人がいない。まるで『別荘地帯』ですよ」と強調した。

次に向かったのは、津波被害を受けながらも、放射能の影響で救助作業が遅れた請戸地区。大型の焼却施設が設置された漁港には、汚染灰を詰めた袋が整然と積まれている。

同地区出身の女性は「友人や親戚がたくさん亡くなった。もう建物も何も残っていない」と、寂しそうに手を合わせた。

最後に立ち寄ったのは、ツアー参加者の女性の自宅で、茨城大の教員らが庭や室内の放射線量を測定した。イノシシに荒らされた部屋に入り、軒先やサッシなどのほこりも集めて測定のために持ち帰った。

家の近くでは、国の基準を大幅に超える毎時0・5~2・0マイクロ・シーベルト程度の空間放射線量が検出され、高いところでは毎時5・1マイクロ・シーベルトを超えるところもあった。「除染が終わっていても、数値が下がっていない。このままでは住むのは難しい」。測定した熊沢紀之准教授(生体分子機能工学)は分析結果を伝えた。

帰りのバスで、同団体代表の原口弥生教授は「(福島に)戻りたくても戻れない避難者はたくさんいる。直接現場を見ることで思いを共有したかった」と、参加者にマイクを回した。

取り壊されたコンビニ店、通っていた小学校――。ツアー中は笑顔で思い出話を語っていた参加者の中には、迷った末にマイクを受け取らなかった人もいた。原発事故から5年が過ぎた現場を見て何を感じたのか。心中を察し、いたたまれなくなった。


多くの人が亡くなった漁港近くで、手を合わせる参加者ら
(1日、福島県浪江町の請戸地区で) 

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