2016/08/02

(核リポート)核を守ろうとする側の「いのちの軽視」

2016年8月2日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJ7W7SQKJ7WPTIL03B.html

オバマ米大統領の広島訪問を受け、日米の「和解」ムードが漂う中で、被爆71年目の夏を迎えた。だが、核が人類にもたらしたものの本質はどこまで理解されただろうか。カナダ在住の科学者で「原爆と原発」「放射能と人体」などの著書がある落合栄一郎さんに、寄稿してもらった。題して、「核を守ろう」とする側と「いのちを守ろう」とする側。
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■「原爆と原発」「放射能と人体」著者、科学者・落合栄一郎さん寄稿

歴史をたどってみると、何か大きな発見があると、人類はそれをまずは武器に利用しようとしてきたことがわかる。人類の困った性である。莫大(ばくだい)な費用をかけて核分裂を兵器にすることに、まずは第2次世界大戦中に「マンハッタン計画」を進めた米国が成功した。この莫大(ばくだい)な費用は、開発に関係した企業に多大の利益をもたらした。そして、世界の大国は相次いで、核兵器の開発に躍起となった。

兵器としての開発が済むと、そのノウハウを生かして、さらに核から利益を得るべく、「原子力の平和利用」と称して原発を推進した。原爆の残酷さを知る日本は、それを心情的に和らげるべく、アメリカから「原子力(核)エネルギーは平和的目的に使うこともできるのですよ」と説得された。そのため、日本のような狭い島国の、しかも地震が起きやすい国土の上に、54基もの原子炉を建設してしまった。

こうした核産業の開発途上では、負の側面、つまり放射能の生命への危険に気づいた研究者もいた。しかし、米国の科学者ゴフマン博士らによると、こうした問題を上司に報告した研究者は「いまさら危険があるなどとは言えない。否定し続けるしかない」と言われるのが常であった。

ここに、「核を守ろう」とする側の、「いのちの軽視」の原点がある。その後の発展で強大な権力を持ってしまった核産業側は、核産業そのものを否定するような事実、すなわち放射線の悪影響を隠蔽(いんぺい)し、否定し続ける施策をとってきた。そして、核産業に依存する科学者や専門家もそれを支援してきた。

「いのちを守ろう」とする側は、核の悪影響をかぶる一般の人々である。いのちの安泰は、人々に与えられた普遍的な基本的人権である。それが根本から否定されることになったのである。

核産業の発展過程での様々な事象で、放射線の人命侵害のデータは蓄積している。広島・長崎の被爆者の追跡調査(がん、その他の病気の放射線との因果関係を認める結果を出している)や、米国の核実験の影響(風下効果など)、原発事故(特に30年前のチェルノブイリ事故)など、大量のデータがある。

世界の「核を守ろう」とする側も、子供の甲状腺がんについては、渋々とではあるが放射線との因果関係を認めている。ウクライナ医科学アカデミー会員のトロンコ教授らによると、チェルノブイリ原発事故によって甲状腺がんになったウクライナの子供たちの51・3%の被曝(ひばく)量は100ミリシーベルト以下で、10ミリシーベルト以下という低線量で発症した子供も全体の16%いた。

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日本の事情を見てみよう。原発事故は福島でも起こり、3基の原子炉で燃料棒がメルトダウンし、爆発事故を起こした。日本政府は、放射性物質の放出も認めている。しかし、メルトダウンした燃料棒がどこにどうなっているかすらわかってはいない。これらは事実で否定しようがない。

だが、この先の説明はあいまいになる。福島第一原発からの放射性物質の放出量は、日本政府の見解によれば、チェルノブイリの時の10分の1ぐらいで大した量ではない。だが、この推定の根拠には疑問が多い。しかも、その後も放射性物質は汚染冷却水や地下水として、あるいは大気中へも放出され続けているが、それは考慮されていない。現実は、チェルノブイリの量をすでに超過していると思われるし、そういう推定も行われている。最近の推定によれば、セシウム137はチェルノブイリの1・87倍、セシウム134は3・06倍、ヨウ素131は1・2倍。しかし、これもあいまいである。政府は、あいまいな過少推定値を掲げて「チェルノブイリみたいな大事にはならない。子供たちの甲状腺がんも、こんな低線量では起こらない」と主張している。本当にそうだろうか。

放射性物質を出す源での放出量があいまいならば、それらが、いつ、どこに、どのくらいの量が落ちたか、さらに判断が難しい。この点で最も問題なのは、ヨウ素131という核種である。ヨウ素は人間の甲状腺に集まる。甲状腺ホルモンが、ヨウ素を含んだ唯一のホルモンだからだ。したがって、ヨウ素131の分布は、事故直後から早急に調査し、住民に知らせる必要があったはずだ。そして、放射性ヨウ素が甲状腺に入る量を少なくするための安定ヨウ素剤を摂取することが必要だった。だが、福島原発事故に際しては、これらすべての点で、日本政府や福島県、東京電力の対応は不適切であった。今や福島の子供たちの間での甲状腺がんの多発(福島県民健康調査で166人が悪性及び悪性疑いと診断)は驚くべき数である。

日本の「核を守る側」の主張は、「100ミリシーベルト以下の低線量では、がんになる心配はない」という言説に代表される。本当にそうだろうか。

放射線の破壊力は、それがもつエネルギー(Eとする)で決まる。このエネルギーをもった放射線が、何個(Nとする)体に入るかが、シーベルト値(NE)を決める。これは何を意味するか。放射性粒子1個の破壊力で、例えばDNAが傷つけられる確率をrとすれば、それが100個浴びせられられると、単純に言えば、確率は100倍(100r)になる。シーベルト値は、すなわち確率を表すものであり、健康障害の深刻度をあらわすものではない。すなわち、「100ミリシーベルト以下では、がんのような深刻な障害は起こらない」という意味ではない。500ミリシーベルトで起こるがんと同じがんが、50ミリシーベルトでも起こりうる。ただ、その確率が低いというだけだ。

50ミリシーベルトを浴びてがんになる人の数は、500ミリシーベルトを浴びてがんになる人の数のおよそ10分の1である。これは、非常に大雑把な考えであるが、多くのデータが、このことを証明している。先にあげたチェルノブイリ後の子供たちの甲状腺がんのデータでも明らかである。

広島・長崎の被爆者の追跡調査でも、がんもその他の病気も放射線量100ミリシーベルト以下でも起こっていることは示されている。「しきい値はない」というのが国際機関の見解であり、日本政府や専門家の「低線量安全宣言」は、明らかに間違いである。

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それでは、現在、福島原発事故の影響を受けている人は、どのくらいいるのだろうか。小児甲状腺がんの多発は否定できなくなりつつあるし、鼻血を出す人なども含めると、かなりの人が影響を受けていると思われる。一方、まだ健康影響が見られない県民にとっては、「低線量の被曝(ひばく)なら健康に問題はない。くよくよするほうがよくない」という「核」側の宣伝に同意しがちである。いや、そう思いたい。

しかし、放射線による健康被害は福島県民に限定されない。甲状腺がんのみならず、心不全などの心臓の病気、白血病など多くの病気が、2011年以降、全国的に増えているというデータもある。例えば、心筋梗塞(こうそく)の患者数は2010年に比較して、2013年には全国で約50%増えている。

福島原発事故の放射線は低線量だという主張の根拠となるのは、空間線量と、ホールボデイーカウンター(WBC)による内部被曝線量の低さである。空間線量は、外部被曝線量を評価するためだが、地上1メートルの高さに設置されたモニターで表示されている。その数値が低めに出るように設定されていることは、しばしば指摘されている。

実際には、原発事故の放射線による健康影響は、外部被曝よりも内部被曝のほうがより深刻であろう。内部被曝は、空間線量からは推定できない。現在、内部被曝線量を測定するとして用いられているのが、WBCである。これは原理的にγ(ガンマ)線のみしか測定できず、内部被曝でより深刻なα(アルファ)線やβ(ベータ)線は測定できない。その上、低線量の場合は、測定時間を十分にとらないと、機器の検出限界以下という結果になりがちである。このようないい加減なWBC検査で、ND(検出されず)とされる。「内部被曝は問題ありませんよ」と告げて被験者を安心させ、その結果、「この程度の放射能は安全」とうたいあげている。だが、WBCではNDとされた子供の尿からセシウム137が検出された(ということは体の中にセシウムがある)という例も知られている。

核の問題には、原爆のように、大量のエネルギーが瞬時に出て、高温と強烈な爆風で、破壊や殺戮(さつりく)を行うことの外に、放射性物質の出す放射線の影響という、あまり目立たない影響がある。前者は、誰の目にも明瞭に見えるが、後者は、微妙で、明確に観察できるわけではない。原発では、原爆と同じ放射性物質を大量に作り出す。例えば、通常の原子炉1基は、年に広島原爆の1千発分ぐらいの放射性物質を作り出す。問題になるのは、この放射性物質の出す放射線の影響である。

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放射線の人体への影響には、二通りある。原爆では、爆発と同時に放射性物質ができ、それらから大量の放射線が繰り出された。そこに居合わせた人々には、そうした放射線が体の外部から体内に入ってきた。これが外部被曝である。診療時に使われるX線(γ線に近い放射線)も外部から入ってくる。しかし、原爆爆発時には広島におらず、したがって爆発時の放射線には被曝しなかったが、数日後になってやってきた人にも、同じような症状が見られ(入市被曝)、ひどい場合には、やはり死んでいった。

この人たちは、原爆爆発後も空気中に漂っていた放射性(降下)物質を、呼吸や飲み水などを通して体内に取り入れてしまった。「死の灰」の微粒子が体内のどこかに定着して、放射線をその周囲に浴びせた。これが内部被曝のメカニズムである。目には見えないが、原発事故の放射性物質による内部被曝の問題は、外部被曝よりもむしろ深刻であると考えるべきだろう。

現在、特に問題にされている放射性物質は、原発内で生み出されるセシウム137(βとγを出す)、ヨウ素131(β、γ)、ストロンチウム90(βのみ)、プルトニウム239(α)、トリチウム(水素3、β)などである。名前の後の数値は質量数というもので、同じセシウムにも137のほかに、134その他がある。このように質量数が違うものを同位体(アイソトープ)という。ヨウ素127は安定で放射性ではないが、そのほかの同位体は不安定で、放射性(ラジオアイソトープ)である。

放射線には、主としてα、β、γ線があり、非常に大きなエネルギーをもっている。これに対して、生命の基である水やDNAなどの分子を構成する原子間をつなぐ(結合)エネルギーや、原子から電子をはぎ取るエネルギーは非常に小さく、数十万分のⅠ程度である。

「核といのち」の関係は、突き詰めると、そうした放射線が生体分子とどうかかわるかである。α線もβ線も超高速で動いている粒子で、分子などに突き当たると、分子から電子を蹴り出す(電離作用という)。γ線は粒子ではないが、やはり電子を蹴り出す。そうすると分子はどうなるか。分子の中で原子をつないでいる結合が切れて壊されたり、変形させられたりする。

例えば、細胞膜が放射線で壊されると、細胞内包物が漏れる。細胞の核にあるDNA分子にあたって、DNA分子を切ってしまうかもしれない。特に頻繁に起こる現象は、大量にある細胞内の水分子を切って、「フリーラジカル」というものをつくる。これは、他の分子から水素原子をもぎ取る傾向がめっぽう強い。そのため、これを通して、DNAやたんぱく質が壊される。DNAが損傷した場合、染色体に変異をきたし、やがてはがんになる恐れがある。しかし、放射線はDNAだけを狙い撃ちするわけではないので、がん以外のあらゆる病気が引き起こされる可能性がある。こうした放射線に十分抵抗する力は、生命にはない。それは、あまりにも放射線のエネルギーが化学反応のエネルギーと比較して大きいからである。

これを野球にたとえてみよう。放射性物質が投手で、放射性粒子(α、β、γ)を投げるとし、それを迎え撃つ生体分子を打者(バット)とする。プロ野球・日本ハムの大谷翔平投手のような時速160キロ級の豪速球であっても、プロの打者であれば、なんとかバットで打ち返せるだろう。つまり、分子は対応できる。しかし、時速300キロを超える超豪速球だったらどうだろうか。なんとかバットにあてたとしても、へし折られてしまうだろう。

放射性粒子の繰り出される速度は、豪速球の数倍どころか、数十万倍である。周囲にあるバットを次々とへし折っていく(=図)。これが放射線の分子破壊力というものであり、こんな高速では、打者(分子)は対応できない。この事情が、「放射線は本来、生命と相いれない(両立しえない)」ということの根本理由である。



一方、生命は、放射線を直接防御することはできないが、壊されたものをなんとか修復する機構をある程度は持っている。こうした機構は、生命の基本であるDNAの損傷には数種あるが、その他の分子に対してはほとんどない。DNAの修復機構は、放射線損傷を目的にできたわけではなく、DNAは通常の生理条件下でも、化学的に切られたり、変化させられたりする機会が頻繁にあり、それに対処するためにつくられたものである。とはいえ、このような修復機構は、限られた形式の損傷にのみ有効で、放射線による無差別破壊すべてに対応できるわけではない。

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「原子力(核)発電のメリット」としてよくあげられるのは、「安い」と「環境にやさしい」である。だが、「安い」という点は、電力会社側のいい加減な計算の結果であり、そのウソは、様々に検証されている。

「環境にやさしい」という理由は、化石燃料と違って、温室効果のある二酸化炭素を発電に際して出さないという事実である。それは事実ではあるが、原発で発生する熱のうち、3分の1しか電力に変換されず、残りの3分の2は熱として環境に放出され、環境を直接に温め、地球温暖化に寄与している。生み出す放射線が人間や環境に与える影響や、まだ解決もみていない放射性物質の後始末のためのエネルギー使用量も入れれば、とても環境にやさしいなどとは言えないだろう。

福島原発事故で溶けた燃料棒の行方や状態なども、事故から5年たっても分からない。それが発する放射線量が高すぎて、人間が近づけないからだ。原発から出る高レベル放射性廃棄物をどう処理するかについても解決策がない。

核と人類は共存できない。原爆は言うまでもなく、チェルノブイリや福島で事故を起こした我々の世代は、原発もすみやかに全廃して、未来の地球にこれ以上の放射性物質を積み増してはならない。

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落合栄一郎さん=カナダ・バンクーバー、田井中雅人撮影

おちあい・えいいちろう 1936年東京生まれ。東大工学博士、東大助教を経て、カナダ・ブリティッシュコロンビア大、米ペンシルベニア州のジュニアータ大などで化学の研究と教育に従事。生物無機化学を専攻。退官後は、カナダへ。専攻分野の著書(英文)5冊、原爆・原発関係の著書は「放射能と人体」(講談社、2014年)など3冊(うち英文1冊)。他に「病む現代文明を超えて持続可能な文明へ」(本の泉社、2013年)。

(核と人類取材センター・田井中雅人)

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