2016/08/15

少量の放射線はそれほど悪いのか・「発がんリスク仮説」見直しの動き

2016 年8月15日 THE WALL STREET JOURNAL
http://jp.wsj.com/articles/SB10153442616204504109704582252471670341942


原子力の放射線は危険だ。がんや先天異常のリスクがあり、SF映画の世界の話だが、身長50フィート(約15メートル)の巨人や、乗合バスほどの大きさの人食い昆虫が出現している。

放射線のこうした暗い知見は、一般市民に恐怖をもたらしたし、過去何十年間にわたって原子力政策の土台の一部になっている。その知見は、連邦機関(ややこしい略語で表示されている)によって受諾されているし、国や国際的な科学団体も受け入れている。それはまた、老朽化した核兵器の現場をいかに浄化するか、原子力発電所をいかに運営するか、そして放射線を医学上どう利用するかにも影響した。

こうした暗い知見の科学的根拠は、放射線リスクに関する「閾(しきい)値なし直線(LNT)モデル」(訳注=放射線の被ばく量と影響の間には閾値がなく、低い放射線量についても直線的な関係が成り立つという仮説)として知られている。つまりLNTモデルは、放射線のどんな被ばく量も人の発がんリスクを高め、被ばく量に応じてその危険が増加すると主張しているのだ。

しかしキャロル・マーカス博士はこのLNTモデルを一笑に付す。同氏は、科学的に言えば、それは「たわ言」で、「地球は平たい」というのと同じ範ちゅうだという。77歳で白髪の同博士はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の教授(放射線医学)で、米国が放射線の取り扱い(許容基準など)を変更するよう求めるキャンペーンを実施中だ。


マーカス博士は米原子力規制委員会(NRC)への請願書の中で、LNTモデルを放棄するよう要請している。同博士は、別の批判的な学者の言葉を引用しながら、同モデルを「20世紀最大の科学的スキャンダル」だったとしている。また2つの同様の請願書は、二十数人の科学者らが署名しており、マーカス博士の請願書とともに、NRCによる検討対象になっている。


マーカス博士は、低量の放射線を浴びても有害ではなく、人々の健康に有益になる可能性すらあると主張している。「ホルミシス」(高濃度なら有害な物質であっても、低濃度あるいは微量の場合は有益になる)として知られる現象で、体内の防御システムを刺激することで発がん率を低下させるという見方だ。とりわけ同博士はNRCに対し、一般市民の年間放射線被ばく許容量を50倍に引き上げるよう求めている。


NRCスポークスマンによれば、NRCの規則を定める際の請願プロセスでは、一般コメント(意見)件数は通常2ダース(二十数件)未満だ。少数のケースでは約200件に上る場合があるが、今回のLNTモデル問題では、コメントが600件を突破し、過去最多になっているという。これらのコメント、つまり請願書に関するNRC事務局の勧告は、来年まで出されないと予想されている。


あるコメントはLNTモデル擁護派である米環境保護局(EPA)から出された。それは、放射線とがんの関係は「特に強い」とし、「放射線防護を、根拠に乏しく極めて憶測的な考え方に基づいて構築する」危険性を警告している。


マーカス博士によれば、大半のコメントは同博士の主張に反対しているという。同博士は、自分の請願は少なくとも「この問題で口火を切る」ことであり、規制当局に対し、LNTモデルと矛盾する証拠と真剣に向き合わせることを目指していると述べた。


ある意味で、LNTモデルの批判者たちはNRCに対し、時代を戻すよう求めていると言える。被ばくが一定レベル未満の場合は「許容量」であって有害でないと規制当局が信じていた時代だ。しかし1960年、当時の連邦放射線審議会(FRC)は、「放射線被害にとっての閾値の存在」を根拠にして許容被ばく量基準を支持することに消極的な科学者が増えていると指摘した。


1970年代になると、LNTモデルは有力な説になっていた。


LNTモデルの支持者と批判者はいずれも、それぞれ自分たちの立場を支持する科学的証拠が沢山あると主張している。彼らは、放射線が細胞に与える損傷に関する生理学的研究と、この種の損傷を修復する人体の能力について論争している。同じ研究結果について自説を補強するものだ、と双方の陣営が主張する場合もある。


論争はおおむね、10レム(つまり1万ミリレム)未満の年間放射線被ばく量に関わっている。レムは、人体によって吸収される放射線の尺度だ。


平均的な米国人は太陽などバックグラウンド源(自然発生放射線)から年間約300ミリレムを受けている。医療診断を受けると、胸部X線の時の数ミリレムから、特定のコンピューター断層撮影(CTスキャン)などの時の1000ミリレム超に至るまで、そのつど被ばく量が加わる。越境する飛行機に搭乗すると、約5ミリレムの超過的な太陽放射線を受ける。LNTモデルの下では、1ミリレムでさえ人の発がんリスクが少し高まるとされている。


規制当局は予防措置として、原子力関連活動から一般市民が受ける超過的な放射線量を制限しようと努めている。NRCは、原子力発電所など許諾事業所に対し、原発の操業によっていかなる一般市民にも年間100ミリレムを超えて被ばくさせないように義務付けている。


これに対し、マーカス博士は請願書の中で、一般市民の被ばく水準は原子力産業従事者と同じ上限量にまで引き上げても安全だと主張している。原子力産業労働者の上限量は現在、年間5000ミリレムとされており、一般市民の50倍だ。


LNTモデルから脱却すれば、汚染現場の洗浄コストは大幅に減少する可能性がある、と米マサチューセッツ大学のエドワード・カラブリーズ教授(毒物学)は言う。同教授は、1940年代と50年代に有力な科学者グループが「イデオロギーに駆られ、恣意的かつ欺瞞的にミスリーディング」な措置を駆使してLNTモデルを提唱していたとする論文を書いたことがある。他の専門家たちはこれに反ばくしている。


マーカス博士は、放射線被ばく量に関するもっと無害な見方を採用していれば、2011年の福島第1原発事故で何万人もの人々が不必要に避難しなくても済んだだろうと述べている。


ジャン・ベユェ博士は、この福島原発事故を調査した全米科学アカデミー(NAS)のパネルに参加した物理学者。状況が状況だっただけに避難は賢明だったと擁護している。だが同時に、「放射線被ばくの恐怖によってもたらされた社会的・医学的な苦痛が、(放射線の)放出から受けた恐らく最大の健康上の影響だ」と付け加えた。ベユェ博士はLNTモデルの支持者で、この放射線は向こう50年間にわたって500のがん発症例の原因になり得ると推測している。しかし、同博士は、ストレスと混乱した避難の状況が数百人の高齢者の死の一因になったとも述べた。(By JOHN R. EMSHWILLER AND GARY FIELDS)



福島第1原発で放射線量を測定する作業員
 PHOTO: BLOOMBERG NEWS

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