2015/09/17

揺れる子育て:福島原発事故から4年半/中 つながり断たれストレス

2015年09月17日 毎日新聞
http://mainichi.jp/shimen/news/20150917ddm013040020000c.html


福島市から月1回送られてくる市政だよりに目を通す二瓶和子さん
=東京都練馬区で、塩田彩撮影
夫と離れ母子だけで東京に避難してから、シングルマザーやワーキングプアの苦労が分かるようになった。

2011年3月の東京電力福島第1原発事故直後から東京都練馬区のアパートで避難生活をする二瓶(にへい)和子さん(39)は、長女(8)と次女(6)を小学校に送り出すと勤務先に向かう。週5日、派遣社員の事務員として働き、生活費を補うため週3回はコンビニのアルバイトを掛け持ちする。

●自主避難者の苦悩
事故前まで住んでいた福島市は国の避難指示区域に指定されておらず、「自主避難者」だ。会社員の夫(41)は福島市の自宅に残り仕事を続ける。練馬区のアパートの家賃は「みなし仮設住宅」として全額助成を受けているが、食費も光熱費も2倍かかり、夫の収入だけでは生活できない。「避難しているから、うちは貧乏だと子どもに感じさせるわけにはいかない」。仕事の掛け持ちで疲れ果て、娘らと一緒に過ごせる週末も寝て過ごす。「私は何をやってるんだろう」。就寝前、やるせない思いがこみ上げる。

事故当時、長女は3歳、次女は1歳。「すぐに影響は出なくても、数十年後の娘たちの健康に責任を持てない」と避難を決意した。行き先に東京を選んだのは仕事を見つけやすいと考えたからだった。

夫が東京に来るのは月1回。仕事などの都合で約3カ月会えなかった時、娘たちが描いた「家族」の絵に夫の姿はなかった。自分も長女もぜんそく気味で、都会の生活が適しているとも思えない。「福島では放射能のことだけ心配していればいい。その方が良かったのか」と迷ったこともある。住宅の無償提供もあと1年半で打ち切られる。

それでも、二瓶さんは放射線量を気にしながら子育てすることに納得がいかない。「娘が成人するまでなんとか踏ん張って避難を続けたい」。娘たちとの時間を確保するため、転職を決めた。

避難指示区域外の福島県郡山市から福岡県に避難し母子で暮らす橋本希和(きわ)さん(24)は今年の夏、郡山の実家に帰省した。テレビで天気予報の後に流れる「今日の空間放射線量」。街にあふれる「除染中」の立て看板。「常に放射能を意識してしまう。廃炉まで何があるか分からない。福島で子育てするのは怖い」。避難生活を続ける決意を新たにしたはずだった。

しかし、福岡に戻るなり幼稚園児の息子は「ばあちゃんとこ帰りたい」と泣いた。橋本さんも両親のそばにいると精神的に安らぐ。自分の感情が揺らぐことが息子の心に影響を与えていると思うと泣けてきた。「月に1度くらい、なんでここにいるんだろうと思う。原発事故がなければ郡山で子育てができた。悔しい」

避難して得たもの、失ったもの。自主避難者たちはそれぞれをてんびんにかけては「自分の判断は正しかったのか」と揺れている。

●選択に自信持てず
「福島の母親の中で、自主避難者が最も不安定だと感じる」。福島県で母子の心のケアにあたる郡山市の臨床心理士、成井香苗さんは指摘する。「子育ては親や友人、地域コミュニティーという人のつながりによって安定する。避難で放射能の不安は取り除かれるが、つながりが失われ、不安やストレスに対する防衛力が弱くなる。家族や友人が福島に残る中で自分は逃げたという罪悪感もあり、自分の選択に自信が持てない」

福島県に残る家族も複雑な思いを抱える。福島市に住む会社員の30代男性は妻と子ども2人と離れ4年半。毎週末を母子の避難先の山形市で過ごし、平日は震災の4カ月前に新築した家で1人、コンビニの総菜を食べる日々だ。

1年ほど前、「そろそろ限界。帰ってこないか」と打診した。妻の答えは「子どもを守るために避難したのに、あなたのために戻していいの?」。妻の言い分は分かるが、最近メールで避難先になじむ子どもたちの報告を受けるたび「妻と子どもに自分は必要なのか」との思いがよぎる。

●行政、東電に不信
同じく避難指示区域外の福島県伊達市から夫と長女(1)と共に新潟市に避難している女性(25)は、17年3月末の住宅の無償提供打ち切りが「良くも悪くも福島に戻るきっかけになる」と話す。夫はアルバイトの仕事しか見つからず、収入が不安定で、避難生活を続けるにはストレスが大きすぎるからだ。

一方で、女性がこれまで避難を続けてきた理由に行政や東電への不信感がある。政府は原発事故直後、放射性物質の拡散予測を公表せず、東電も福島第1原発の汚染水の外洋流出を約10カ月間公表しなかった。「何か隠してるんじゃないか」。県が安全の根拠として示すデータも信用できない。低線量の放射線の影響は専門家でも見解が分かれ、何を信じていいか分からない。

伊達市は7月、避難先から市内に戻った家族と避難中の家族の交流会を山形県天童市で開いた。子どもを含む約20人が参加。サクランボ狩りを楽しんだ後の意見交換会では、伊達市の担当者たちが「行政の前では言いにくいこともあるだろう」と席を外した。同市に戻ってからの不都合や不安について厳しい指摘も出ただろう。市放射能対策課の大河原克仁副主幹は「それでいいんです。避難中の方には避難経験のある人たちの話を聞いた上で、それぞれの判断をしてほしい」と語る。

震災から4年半。県内のある市の職員は「戻ってくるか分からない自主避難者に、いつまで、どのように支援すればいいのか。私たち行政も悩んでいる」と本音を漏らす。【塩田彩、喜浦遊】=次回は23日に掲載します

●自主避難者、いまも2万5000人
東京電力福島第1原発事故で、国から避難指示の出ていない地域から避難した福島県の「自主避難者」について、県は昨年末時点で県内外に2万5000人(9000世帯)と推計する。避難指示区域の住民には東電から1人当たり月10万円の精神的賠償が支払われているのに対し、自主避難者には1人当たり最大72万円しか支払われていない。

県は災害救助法に基づき、自主避難者にも仮設住宅や民間アパートなどを借り上げた「みなし仮設住宅」の無償提供を続けていたが今年6月、「除染も進み応急救助の継続は難しい」として2017年3月末で打ち切ると発表。8月には、打ち切り後の低所得者や母子避難者に対する家賃補助も2年程度で終える方針を示した。

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